「数年前にようやく叱られたことの意味を知ることができた。いまは感謝できるが、そのときは叱られている意味さえわからなかった(40代前半男性)」という回答が示すように、その場では伝わらなかったとしても、時間が経てば気づいてもらえる叱りもある。
部下の成長を期待し、愛情を持って接する上司は、とりもなおさず「人間として尊敬・信頼できる上司」にほかならない。
「たとえ厳しく叱られてもついていきたい上司のタイプは?」という質問を投げかけたところ、次のような回答が寄せられた。「言うことがぶれない人」「叱った後にフォローしてくれる人」「責任をとってくれる人」「仕事ができる人」。
一方、「『あなたからは叱られたくない』と思った上司の特徴」として挙がったのは、「自分のストレスを、部下を叱ることで解消している人」「いざとなったら責任回避をする人」「朝令暮改で気分屋の人」「自分の立場ばかりを考えて部下のことは二の次の人」。結局のところ、上司に「何を」叱られるか、「どう」叱られるかより、「誰に」叱られるかが重要なのだ。「人間として尊敬できない人からは叱られたくない」のである。最後に問われるのは、叱る人の「器の問題」なのである。
若い頃に出会い、いまも私が尊敬している、ある企業の常務は「仏タイプ」の人物である。
彼がまだ課長だった頃、彼のチームとともに仕事をした。私のような若輩者に対しても、「稲垣さんのような人が僕らの仲間に入ってくれれば、これほど力強いことはない。このサービスを日本中に広めて世の中を幸福にしたいんだ。ぜひ手伝ってくれ!」と、チームメンバー全員の前で言うのである。
もちろん、部下に対しても同様の態度で接し、「ここには最高のメンバーが集まった。君たちなら何でもできる!」というような、見方によっては気恥ずかしいと思える言葉を真顔で口にできる人物だった。