プライドが高い人は人生の後半で失敗する
人生前半でお金に恵まれた生き方ができたのに、後半の人生で失敗してしまう人は、見栄やプライドが邪魔をしているケースがとても多いですね。とくに男は本能的に自分を大きく見せようとするところがあるんです。
生涯現役を目指す人間にとって、過去の肩書と見栄を張るだけのプライドは必要のないものですから、全部捨ててしまいましょう。住人が交代でやるマンションの管理組合なんかでは、仕事をリタイアしたジジイ同士がプライドのぶつけ合いをするシーンがよくあります。
けっこう大きな会社の元重役ぐらいがやるケースが多くて、意見が合わなくなると「君、そんなやり方でうまくいくわけないだろう」「君という言い方はないだろう」なんてバチバチの言い合いになるわけです。自分のキャリアにすがって生きていく男は多いんですが、なんの価値もないんですよね。生きる舞台が変わったわけですから、もはやどうでもいいプライドなのです。
周囲の人間は、「大会社の役員? それがどうしたの」なんて思っているのですが、本人はその状況をまったくわかっていない。東大卒だろうが大会社の取締役だろうが、もう組織の人間ではないのですからなんの意味も持たないのに、本人は気づいていないのですから嫌われてしまうわけです。
過去の社会的地位はなんの役にも立たない
人生後半の仕事で起業をしたり、お店を持ったりしたら、前半の仕事でどんな組織にいてどんな偉いポジションにいても関係ありません。一般社会という平場に下りたら、そこでは過去の社会的地位も肩書も邪魔をするだけで、それをかざしたところでなんの役にも立たないのです。
定年退職をしてからも再雇用で組織に残って仕事を続ける場合には、それまで部下だった人間が上司になるケースもあります。これは再雇用を望む時点で受け入れなければいけない現実ですから、いくら元部下であっても敬語を使う必要も出てきます。
気持ちの問題ではなくて人間社会で必要なことなのですから、プライドが邪魔をするような人は組織を出るしかなくなります。いかにプライドが幸福を遠ざけてしまうかという話では、ゴルフがわかりやすい例です。