老後に入ったら自然と必要なお金は減ってくる

人生は景気のいいときもあれば厳しいときもあるわけです。いつまでも羽振りがいいままでいられるとは考えないほうが現実的です。でも、この生活のダウンサイジングは、それほど大変な絞り込みではありません。

60代になって定年退職を機に生活を縮小するのは、例えば30代のときに子どもができたばかりで会社が倒産したというような厳しさはないと思います。まず、食べる量が減りますから食費が縮小できます。毎晩のように飲み歩いていたという人でも、なかなか同じペースでは飲むことができなくなりますから、酒代も縮小するでしょう。お中元やお歳暮も本当に気持ちを伝えたい相手だけに絞り込んでラクになるチャンスです。

冠婚葬祭は増えるでしょうが、そのときの健康状況や家計に合わせて出席するものを選べばいい。毎年2回は旅行をしていたのだったら、歩き回るのもなかなか疲れることだし1回にすればいいでしょう。そう考えると、高齢になってやる生活の絞り込みは自然にできることが多いのです。

住む場所だってそうです。子どもたちが独立して家を出て行き、夫婦2人に戻ったらもう広い家は必要ありませんよね。持ち家に住んでいた人だったら処分して夫婦がそれぞれ部屋を持てる程度のマンションに引っ越せば、高い維持費もかからなくなりますし、日々の掃除もラクです。実際にそういう人が増えています。70代になってくると階段の上り下りも大変になってきますので、広い家で生活するほうが不便になってくるからです。

どれだけお金に恵まれていても死は避けられない

しかし、生活の縮小をしてある程度の展望を持ったとしても、難病を患って莫大な医療費がかかるなんていうことがないとはいえないわけです。何歳まで生きるかということはわからないし、この先どんな出費があるのかもわからない。そんなことを言うと、話は最初に戻って不安になるじゃないかと言われるかもしれません。

車椅子に座っている認識できない男のクローズアップショット
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でも、どんなにお金に恵まれる生き方をしようが、いくらお金を持っていようが、死ぬときは死ぬんです。だから、お金についてある程度の展望を持てたら、その状況に応じて好きなことを続けて毎日を楽しんで生きる。それで命が尽きるときが来たら笑って「ああ、楽しい人生だったなあ」と思えたら幸せな生き方なのではないでしょうか。

僕は延命をするつもりはないですから、家族には延命治療はしないでくれと言ってありますし、余命宣告があったら「お迎えが来るのだな」と受け入れます。それで好きな漫画を描いて毎日を楽しみます。

人間には生きる権利として「生存権」があるのですから、死ぬ権利もあったほうがいいと思っています。安楽死制度を実行するには、併行して保険金犯罪や人口減少などの問題を解消しなければいけませんが、いずれ日本でも認められるでしょう。そうすると老後資金の考え方も変わってくるかもしれません。