自分を輝かせる仕事がしたい
萬福寺で精進料理を学び、さらには京都の料亭で料理人としての修業も積んだ。東京に帰ってきて精進料理を使ったビジネスを開始しようと動き始めたとき、泉緒は「何か違う」と感じた。
もちろん、精進料理を世界に発信することも素晴らしい仕事だ。しかし、これが本当に私のやりたいことなのか……?
悩んだ挙句、泉緒は精進料理の道を離れ、ホステスとして働くことになる。
しかし、なぜホステスだったのか。
1つには、「自分が輝く仕事をしたい」という想いがあったという。パティシエや精進料理を世界に発信していく仕事も良い。しかし、自分自身を「商品」として、輝かせる仕事がしたいと考えた。
そして、「世間の常識に囚われず、自分がやりたいこと、楽しい仕事を選んでいくと水商売だった」と泉緒は言う。
今までさまざまなことを経験し、体験し、取り組んできたけれど、いいところまで行くと「コレじゃないかも」と投げ出してきた。
自分の好きなこと、やれることで、一度トコトンまで突き詰めてみたい。そう考えた結果、銀座のホステスにトライすることに決めたのだ。
これまで学んできたこと、ご縁をいただいて取り組んできたことは、この先、いつか繋がればいい。そう思っているという。
30歳で銀座デビュー。子宮がんでも1日も休まず出勤
そして、30歳で銀座デビュー。この業界としては遅咲きである。
失踪していた父と和解もし、いつの間にか憎んでいた存在の「銀座のホステス」に、自分自身がなっていた。
ホームレス生活直後に、キャバクラのアルバイト程度の経験はあったが、銀座のホステスは未経験。それでも、1カ月でナンバーワンに上り詰めた。
「お礼のメールやメッセージを翌日早めに送るとか、会話の切り口を他のホステスと少し変えるとか、本当にちょっとしたことを淡々と続けたんです」と泉緒は言う。
まだ祖父が存命で家も大きかった頃は、老若男女が応接間に集まることが多かった。だから、人と接するコミュニケーション能力は元々高いほうだったのかも、と泉緒は自己分析する。
その後、移籍した店では雇われママとして、1日も休まず出勤。
そんなある日、健康診断で初期の子宮がんが判明した。誰にも悟られないよう、手術後に入院すらせず、手術日当日から仕事に復帰した。