共通テストはどんなメッセージを発しているのか

共通テストをきっかけにして文章を書いてきたので、最後に、なぜ共通テストが注目に値するのかという点について触れておきたい。それは、共通テストの出題者が、受験生への、ひいては社会への批評的介入を行っているからだ。少なくとも、そうした深読みを誘う問題がしばしば登場する。

2023年の「倫理」では、努力を積み重ねてテストに臨んでいる受験生に対して、「いや、それは単純に努力だけの問題とも言えないんだ」という視点を、ほんの一瞬提示している。それは、東京大学という高偏差値の大学の入学式で、あえて冷や水を浴びせかけるような社会学的視点を口にした上野千鶴子さんの姿勢とも重なる。自分の認知を揺さぶるよう促しているのだと言ってもいい。

2年前の「国語」にも問いかけがあった

「倫理」に限らず、共通テストにはしばしばこうしたメッセージが読み込める。私個人の印象に残っているのは、2021年の第二日程(追試)「国語」で出題された、津村記久子さんの「サキの忘れ物」という短編小説だ。

主人公は、高校生活に何の意欲も持てなかったので中退し、今はカフェでアルバイトをしている。家族の中でも居場所がなく、友だちには都合よく扱われ、特に趣味もない。実直で不器用なあまり、自分の疎外感すらうまく言語化できないでいる。

受験生のただなかに、所在なさげな高校中退者のイメージを差し込んでいるのだ。私としては、作問者のメッセージ(批評的介入)をここに読み取りたくなる。「多くの受験生からは縁遠く思われるかもしれない境遇の人も、同じ受験会場やその他の場所にちゃんと存在しているし、そういう人のことを想像の外に置いてほしくない」というメッセージだ。