設問を深く読み込むことこそが大切
ついでながら、出題された小説には、「国語の文章を読むことに意味を感じる人は、実際のところどう感じながら読んでいるのか」ということをメタ視点で解説してくれている箇所も出てくる。
初めての本屋で緊張しながら文庫本を買うことになった主人公は、この本が「おもしろくてもつまらなくてもかまわない」、「それ以上に、おもしろいかつまらないかをなんとか自分でわかるようになりたい」と思っていた。しかし実際に読んでみると、本は「予想していたようなおもしろさやつまらなさを感じさせるものではない」と発見させられる。
「これが文章に触れるということだ」「こういうことを『国語』を通じて感じてほしい」という出題者の声が聴こえてくるようだ。問題文を読んで「なるほど」と思うのか、「説教くさい」と思うのかはさておき、ここから言えるのは、私たちが「設問」を通じて、二重に「問題」を投げかけられているということだ。つまり、具体的な問題に解答していくこと、そして、設問の背後に批評性(メッセージ)を感じ取ること。
メタなメッセージを読み取れるか
「問題文に批評性を読み取るのは、単なる深読みにすぎない」と言われたらそれまでかもしれない。しかし、私たちの生きている社会に、整理されていて取り扱いやすい「設問」はあるだろうか。私たちが日々直面しているのは、いつも不明瞭で多角的な解釈を許す現実だ。
そうはいっても、いきなり曖昧で難しいことに取り組むことほど疲れることはない。簡単なところから練習したっていい。そう考えると、問題文からメタメッセージを読み取る習慣には、乱雑で整理されない現実に向き合う私たちにとって、侮ることのできない可能性があると言えないだろうか。これもまた、単なる深読みにすぎないかもしれないけれど。
※参考文献
1)イリス・ボネット著『ワークデザイン 行動経済学でジェンダー格差を克服する』(NTT出版)
2)「平成31年度東京大学学部入学式 祝辞」
3)本田由紀「解説」、マイケル・サンデル著『実力も運のうち』(早川書房)、本田由紀著『教育は何を評価してきたのか』(岩波新書)
4)キャロル・ギリガン著『もうひとつの声で』(風行社)、谷川嘉浩著『スマホ時代の哲学』(ディスカヴァー・トゥエンティワン)、レジー著『ファスト教養』(集英社新書)