「努力は報われる」と思えること自体が環境のおかげ

「実力も運のうち」に似た言葉が、2019年にも話題を呼んだ。東京大学名誉教授の上野千鶴子さんによる学部入学式祝辞だ(※2)。わかりやすく印象深いので、少し長めに引用しておこう。

あなたたちはがんばれば報われる、と思ってここまで来たはずです。ですが、冒頭で不正入試に触れたとおり、がんばってもそれが公正に報われない社会があなたたちを待っています。
そしてがんばったら報われるとあなたがたが思えることそのものが、あなたがたの努力の成果ではなく、環境のおかげだったこと忘れないようにしてください。あなたたちが今日「がんばったら報われる」と思えるのは、これまであなたたちの周囲の環境が、あなたたちを励まし、背を押し、手を持ってひきあげ、やりとげたことを評価してほめてくれたからこそです。
世の中には、がんばっても報われないひと、がんばろうにもがんばれないひと、がんばりすぎて心と体をこわしたひと…たちがいます。がんばる前から、「しょせんおまえなんか」「どうせわたしなんて」とがんばる意欲をくじかれるひとたちもいます。

ここで批判されている社会のあり方は、しばしば「メリトクラシー」と呼ばれ、この言葉は「功績主義」や「能力主義」と訳される。

メリトクラシーは、生まれ持った家柄や階層などに依存する身分社会や階級社会に比べて、競争と個人の能力に依存するだけフェアだと考えられていた。しかし、すでに見たように、「能力」や「功績」が素直に個々人だけの問題だと言えず、公正とは言えない。メリトクラシーに問題があるとすれば、私たちは努力や成功をどう考えればいいのだろうか。

2023年大学共通テスト「倫理、政治・経済」問題用紙より
2023年大学共通テスト「倫理、政治・経済」問題用紙より

大学共通テストに出たメリトクラシーの問題

2023年1月の共通テストの本試「倫理」でも、メリトクラシーの話題が登場している(科目名は「倫理、政治・経済」だが、ここでは「倫理」と表記する)。「倫理」の問題文には、学生たちがメリトクラシーについて対立する考えを語り合う会話文が登場する。私なりにわかりやすくまとめると、大体こういう内容だ。

「金持ちの子どもは運がいいな」
「親を子どもは選べないんだから、問題は子どもが努力するかどうかでしょ」
「親が子どもの教育機会を提供するわけで、子どもの教育は経済的な格差と連関するから、社会が埋め合わせないといけないんじゃない?」
「そうかもしれない。でも個人の努力は評価すべきだよね」
「それはそう。でも、努力する習慣が生まれるかどうかは個人の問題にならないんじゃないかな。どういう学校環境だったか、どういう先生に出会ったかとか」
「なるほど。ただ、努力する人が尊重されないのはフェアじゃないよね……」