人口減少と中食の台頭で外食市場は減少傾向に
1997年をピークに縮み始めた日本の外食市場は2000年以降も緩やかに縮小を続けた。理由の一つは人口の伸びが止まったこと。1960年に9300万人だった人口は、67年に1億人を超え、84年に1億2000万人に到達した。その後、伸び率は鈍化し、人口は2008年にピークを迎える。もう一つは外食率が天井に達したことだ。1997年に39.6%でピークを迎えた外食率はその後減少傾向が続き、2010年には24年ぶりに35%を下回った。
人口の減少と外食比率の低下が組み合わさって成長力を失う中、外食産業は混迷の時代に入っていく。ただし、外食の代わりに「自炊」が増えたわけではない。
外食に加えて持ち帰りの弁当や総菜などを含む「食の外部化比率」は外食率と似たペースで伸び、1997年に44.5%に達していた。その後は外食率が下がる一方で、食の外部化比率は同水準を維持している。単身世帯の増加を背景に、持ち帰って食べる「中食」が外食市場を侵食したと言われるゆえんだ。個店とチェーン、外食と中食といった枠組みを超えた生存競争が始まった。
「外食は安いというイメージを植え付けてしまった」
90年代後半に始まった価格競争はさらに激しさを増し、「外食デフレ」が深刻化する。サイゼリヤは99年11月に「ミラノ風ドリア」を480円から290円に引き下げ、マクドナルドは2000年にハンバーガーの定価を65円に下げた。
01年には吉野家が牛丼(並盛り)を280円に下げ、キャッチフレーズを「うまい、はやい、やすい」から「うまい、やすい、はやい」に変更。「やすい」を格上げした。松屋やすき家なども価格を400円から200円台後半に設定。その値下げ競争は「牛丼戦争」と呼ばれた。リンガーハットも00年に長崎ちゃんぽんを380円まで下げるなど、大幅な値下げが各分野に広がった。この消耗戦が各企業の体力を奪っていく。
そんな時代を横川竟氏はこう悔いる。「平成の時代に安売りをして、外食は安いというイメージをお客さんに植え付けてしまった。外食業界は付加価値を高める挑戦を怠り、低価格という楽な方に走った」