低価格がウリの回転寿司チェーン「くら寿司」銀座デビューの勝算は
2024年4月25日、東京・銀座に「くら寿司」がオープンした。くら寿司の中でも、インバウンド需要向けの「グローバル旗艦店」という位置付けが与えられている店(他に難波店、浅草ROX店、原宿店など5店)で、外国人観光客に向けたメニュー構成や店舗構成が特徴だ。
銀座といえば、一流ブランドや高級店が軒を連ねる一等地。目抜き通りには、ルイ・ヴィトンやティファニーなどのハイブランドのブティックが軒を連ねている。一方「くら寿司」は低価格をウリにする回転寿司チェーンの代表格だ。銀座への出店となると、店の方向性と齟齬が生じそうでもある。
しかし、近年、銀座には、いわゆる「安売り」を特徴とする店の出店が相次いでいる。くら寿司が入居する商業ビル「マロニエゲート銀座2」には、地下にディスカウントスーパーのOK、地上にはユニクロやダイソーといった「デフレ時代の勝者」的な存在の店舗が数多く入居している。ある意味では地方のショッピングモールにも似たテナント構成だ。思えば、2012年、銀座にユニクロが誕生したとき、「銀座の終焉」といった声で、それを悲観する人々も多かった。まだ10年少し前に過ぎないが、時代は変わったと思わざるを得ない。
では、そんな「くら寿司」は銀座出店にどのような「勝ち筋」を見ているのか。
今回は、銀座という街の歴史を振り返りながら、「銀座くら寿司」の「勝ち筋」について考えていきたい。
銀座出店に必要なのは「特別感」だ
まず、端的に言って、銀座という街で、こうした商業施設が勝つための方法は「特別感」をいかに演出するのか、ということにかかっていると言って良い。
そもそも銀座は、昔から日本人に「特別」な存在として認識されてきた街。1870年代後半に明治維新の象徴的な存在として、煉瓦作りの建物が多数建設されたことから「銀座煉瓦街」の名でも知られるようになる。
特に1923年の関東大震災以後、東京の盛り場的な存在として、大きくその地位を向上させ、大正時代には、「モガ」「モボ」(モダンガール・モダンボーイ)が集まる、流行の最先端のモダンな街として知られるようになる。このあたりから、日本において常に海外の最先端のものが集まる街としても知られるようになっていく。
特に大手チェーンの一号店が、銀座に出店する例も多い。
例えば、マクドナルドだ。日本マクドナルドの創業者である藤田田は、本国アメリカのマクドナルドの反対を押し切り、日本マクドナルドの一号店を銀座に出店した。この経緯には、藤田が「日本で流行が生まれるのは銀座から」という強い意志があったようだが、その目論見通り、銀座の通りでハンバーガーを食べ歩きする人々がメディアを通して全国に知れ渡り、その後のマクドナルドの活況につながっていった。
また、時代は下るが、スターバックスの実質的な1号店も1995年、銀座に誕生している。また、アップルストアの1号店もこの街に誕生。
これらは、自社の製品のブランディングを行うために、銀座に出店したといってよいだろう。銀座という街のイメージと製品イメージが結びつき、十分なブランディング効果があると考えているわけである。