平成の外食産業では「ハンバーガー65円」のようななりふり構わぬ価格競争が起きた。なぜそんなことになったのか。日経ビジネス記者の鷲尾龍一さんは「バブル崩壊でファストフードやファミレスが低価格競争に走った。こうした平成の安売りは日本国民に『外食は安い』というイメージを植え付けてしまった」という――。

※本稿は、鷲尾龍一『外食を救うのは誰か』(日経BP)の一部を再編集したものです。

ドライブスルー
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バブル崩壊で始まった「外食デフレ」

1991~93年にかけて起こった日本経済のバブル崩壊の影響を受けて、外食産業も停滞期に入る。そこで進んだのが「外食デフレ」だ。

その予兆はバブル期の真っただ中にあった。日本マクドナルドが87年にセット価格390円の「サンキューセット」を打ち出し、ファストフードで低価格競争の口火が切られたのだ。同じ年にロッテリアが「サンパチトリオ」を導入して対抗し、競争はファミレスも巻き込んでいく。

80年代に「元祖ファミレス」の成長が鈍り、専門性を高めた業態を増やしていたすかいらーくは92年に「ガスト」1号店を出店した。「ハンバーグをすかいらーくの開業時の390円で売ったらどうなるか」(創業者の横川竟氏)という着想からファミレスの革新に挑んだ。

「引き算の改革」で客単価800円でも利益を出した

すかいらーくは、成長路線に戻そうともがいている間に、メニュー数が大幅に増えていた。ガストではメニューを大胆に絞り込み、ほとんどの商品はコンベヤー式の熱効率が高いオーブンに流せば短時間で調理できるようにした。ベルシステムやドリンクバーを導入したことで、来店客に呼ばれるまで席へ行かずに済む。店員のユニホームや店内に置く植木もやめるなど、コストを徹底的に削減。客単価800円でも利益が出るようにした。これで、マクドナルドなどファストフードに対抗できるレベルになった。

単に原材料のレベルを落とすのではなく、最新の厨房機器の導入や、必要な店舗機能の絞り込みなど「引き算の改革」によって低価格を実現したガスト。それは「ファミレスのコストパフォーマンスの次元を変えたイノベーション」(外食産業の歴史に詳しい香雪社の齋藤訓之氏)だった。