相続でもめないためにはどうすればいいか。『脱しきたりのススメ』などの著作もあり慣習に詳しい宗教学者の島田裕巳さんは「そもそも相続ということばは仏教の用語だが、その行為が堕落してしまった」という――。

相続の語意は人の行為の連続性

なぜ相続でもめるのか。

それは、相続という行為が「堕落」してしまったからである。

相続
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そんなことを言い出せば、珍説として扱われるかもしれない。だが、よく考えてみるなら、決してそれが珍説ではないことが明らかになってくるはずである。

そもそも相続ということばは仏教の用語である。

そうしたことばは実に多く、「因果」や「縁」などがその代表だが、相続には、「人間の行為には連続性がある」という意味がある。

ただ、今の世の中で相続のことが取り上げられるとすれば、それは、「遺産相続」の場面においてである。ある一人の人が亡くなり、資産を残したときに、相続が行われる。多くは、配偶者や子どもが、遺産を相続することになる。

その際に、故人の遺言があると、それが効力を発揮し、特定の人間により多くの遺産がわたることがある。それでも、全額を一人に相続させることはできず、相続の資格のある人間に対しては法定相続分が確保されている。

相続をした人間は、相続の権利を放棄しないかぎり、遺産はわたるものの、相続税を支払わなければならない。相続税を支払うことは、相続に伴う義務のようにも見えるが、それ以外に、相続人がしなければならないことはない。

これが今のやり方だが、昔は違った。

なぜ、旧民法では不平等なのか

相続に関係する法律が民法である。

民法は明治31年7月16日に定められたもので、戦後、昭和22年5月2日に大幅に改正された。憲法と違い、その後、改正がくり返されている。昭和22年5月2日以前の民法は「旧民法」と呼ばれ、現行の民法と区別されている。

旧民法と現行の民法とでは、相続にかんして、考え方が根本から異なる。というのも、旧民法では、「家督相続」の制度がとられていたからだ。

旧民法では、それぞれの家には戸主が定められることになっていた。戸主は主に男性で、家督を譲られるのは、基本的にその家の長男である。長男がすべての財産を相続し、他の子どもたちはそれに与かることができなかったのだ。

なぜそのような不平等な制度が存在したのか。今の人たちはそこに疑問を抱くだろうが、農家の場合を考えてみれば、その理由が明らかになる。

ある農家で、1ヘクタールの水田を所有し、それを耕作することで生計を立てていたとする。その農家で、戸主が亡くなり、相続となったとき、4人の子どもたちに均等に分けられれば、相続分は4分の1ヘクタールになってしまう。それでは、農家として成り立たない。だからこそ、農家を維持するために、長男が独占的に相続することになっていたのである。