権威を信じない戦中生まれ、矛盾だらけの団塊世代

──『マガジン』はそれを売りにしていたわけですか。

【鈴木】『マガジン』には仕掛け人がいたんですよね。だから、復古調をやったのはもっぱら『マガジン』で、『サンデー』はもっと自由で、民主主義的でした。『マガジン』は戦記物ブームによって『サンデー』に伍していくんです。

――平和憲法ができて民主化されたといっても、国民の心理は変わらないというか、ずっと軍国主義や天皇制ファシズムを信じてきた人たちもいたわけですよね。戦後75年経ったいまでも零戦や特攻を賛美する人がいるぐらいですから。

【鈴木】だけど、その一方には高畑さん(高畑勲)みたいな人もいたわけです。高畑さんの世代は戦時中に子ども時代を過ごして、空襲も経験しています。戦後は教科書を墨で消さなきゃいけなかったんですよ(※)

これは強烈な経験ですよね。精神構造にも大きな影響を与えたと思う。だから、高畑さんは最期まで国家とか権威を信じなかった。それは徹底してましたね。アニメーターの大塚康生さんにもそういうところがあった。もう少し世代が下の宮さん(宮﨑駿)なんかは、そこまでじゃないけど。

 それがぼくら団塊の世代になると、軍国主義の復刻版みたいなものを読みつつ、アメリカから入ってきた映画やら音楽やら、大衆文化のおもしろさも享受する。だから、ぼくらのなかにはスローガンとしての反米と、アメリカ文化へ憧れが共存しているんです。

――矛盾を抱えながら。

【鈴木】そう、矛盾だらけなんです。戦前の教育をよく知っているわけじゃないけれど、かつては小中学校で「修身」という道徳教育があったわけでしょう。それは形を変えて『赤胴鈴之助』のような漫画のなかにも含まれていますよね。

ぼくらはそういう古くさい道徳や倫理を、漫画や絵物語(挿絵入りの物語)を通してあらためて学んだんだと思う。さっきの「親に心配かけまいと」という歌詞なんかもそうだけど、じわじわと染みこむように入ってきてたんですよ。そういう漫画が多いなかで、手塚治虫さんだけは違っていたんですけどね。

*戦後、GHQの指示によって戦意昂揚をうたった文章などが墨で塗り潰された。

宇宙戦艦ヤマト人気に怒りの涙を流した手塚治虫

――手塚さんとか高畑さんのような知識人からすると、軍国主義を思い出させる戦記物ブームなどは耐えがたかったでしょうね。

松本零士『宇宙戦艦ヤマト』(少年サンデーコミックス)

【鈴木】それはぼくも嫌いでしたよ。手塚さんとは編集者になってから知り合って、亡くなるまで付き合うことになるんですけれど、一番印象的だったのは『宇宙戦艦ヤマト』をめぐる座談会ですよね。『アニメージュ』の企画で、手塚さんに司会になってもらって、アニメ業界の人たちに『ヤマト』がヒットした理由を語ってもらったんですけど、手塚さんは真剣に泣きだしたんですよ。

手塚さんが漫画を描く上で大切にしてきたのは、科学的なものの見方を子どもたちに教えたいということと、二度と戦争を起こしてはならないということ。そういう確固たる信念を持っている人でした。

ところが、戦艦大和と言えば旧大日本帝国の象徴でしょう。まさに復古調の最たるものですよね。そういうものが若者の間で大人気になっていることに手塚さんは衝撃を受け、怒りのあまり涙を流したんです。「こんなものがブームになるなんて……ぼくたちが戦後やってきたことはなんだったんだ」って。