60年代に戦記物が復活
――戦後の漫画で描かれた子どもが大人や悪者をやっつけるジャイアント・キリングの痛快さは普遍的なものだと思うんです。でも、戦後史の文脈で言うと、大人や悪者=アメリカという方向に行く可能性もあったんじゃないですか?
【鈴木】『赤胴鈴之助』の頃にはなかったんじゃないかな。それを本格的にやるようになるのはもう少しあとですよ。独立後もしばらくの間は、どこかアメリカに気を遣っている雰囲気があって、反米的な作品はあんまりなかったと思う。
ところが1960年代になると、太平洋戦争を扱ったものがたくさん出てくる。それを意図的に仕掛けたのが『週刊少年マガジン』だったんです。
漫画ではちばてつやさんの『紫電改のタカ』が連載されたり(63〜65年)、活字のページには「こうしたら日本が勝っていた」という太平洋戦争の“架空戦記”が載るようになった。同じ時期、『週刊少年キング』には辻なおきの『0戦はやと』が連載されたりね。月刊漫画誌の時代には戦記物はほとんどなかったんだけど、週刊誌になって復活してきたんです。
たとえば、『紫電改のタカ』は台湾が舞台で、最後はみんな特攻で死んでいく。たぶんそういうものに感動しちゃう精神構造が日本人のなかに残っていたんでしょう。ただ、大人向けの作品で露骨に描くわけにはいかない。そこで子ども向けの漫画を使って表現した──これはぼくの想像ですけどね。
遅れてきた軍国少年時代
【鈴木】まあ、子ども心にもなんとなくわかってはいるわけですよ。日本は戦争に負け、GHQに占領されて、民主化と非軍事化が行われた。でも、数年も経たないうちに朝鮮戦争が始まって、日本は“逆コース”を辿る。ぼくらが小学校に上がる頃には自衛隊も創設されたわけでね(1954年)。
実際、小学4年生のとき、高橋くんという友達からこんなことを言われるんですよ。
「いよいよ軍隊が復活して、徴兵制が始まるぞ。おれたちは大人になったら軍隊に行くんだから、いまから心の準備をしなきゃいけない」
冗談じゃないんです。真剣なんですよ。だから、ぼくも信じましたよね。「おれたちは戦争をやらなきゃいけないのか。殺されるのいやだな……」と思ったのを覚えてます。
――戦争が終わってから十数年しか経っていないわけで、またいつ起きてもおかしくないという感覚は残っていたんですね。
【鈴木】残ってました。そういう社会の雰囲気のなかで、『マガジン』は架空戦記をやりまくった。みんな読んでましたね。そのせいで、ぼくらは遅れてきた軍国少年をやることになるんです。馬鹿馬鹿しかったですけどね。