大人になっても漫画を読み続けた第一世代

――鈴木さんの少年時代の話に戻りますが、当時の月刊少年漫画誌を見ると、漫画だけでなく絵物語がかなり載っていたんですね。子どもたちは漫画と絵物語はそんなに区別せずに両方読んでいたんですか?

宮﨑駿氏が絵物語の形式で描いた『シュナの旅』(アニメージュ文庫)
宮﨑駿氏が絵物語の形式で描いた『シュナの旅』(アニメージュ文庫)

【鈴木】格で言うと絵物語のほうが本来は上なんです。それが徐々に逆転していくんだけど、この時代はその過渡期ですよ。まだ絵物語が巻頭だったりするでしょう。それが『サンデー』と『マガジン』の登場以降、だんだん絵物語が追いやられて漫画が前面に出てくるんです。

さっきも言ったように、義務教育を終えると同時に漫画家になる人たちが、戦後ワッと出てきて、結果的に絵物語を蹴散らしていく。そういう漫画を浴びるように読んだ最初の世代がぼくら団塊の世代。当時はよく「漫画を読むと馬鹿になる」と言われましたね。

それまでは漫画を読んだとしても小学校の高学年で卒業するのが普通だったんだけど、それがぼくらは中学生になっても読む。高校生になっても読む、挙げ句の果てに大学生になっても、就職してからも読んだ。

――それに合わせて各年齢に応じた漫画雑誌が次々に創刊されて、作品もバラエティ豊かになっていったわけですね。

【鈴木】だから、ぼくらは大人になっても漫画を読み続けた第一世代、いわば漫画の申し子ですよ。それでも物心ついたばかりの頃はやっぱり絵物語だったんです。これはさっきの戦後の話とも絡むんだけど、そもそも戦争中、子どものための雑誌はあったか?

――そういう余裕はなかったでしょうね。

【鈴木】という気がするんですよ。あっても『少年倶楽部』とか数えるほどでしょう。そのなかで漫画が占める割合はほんとにごく一部。それが戦後ほどなくして、こういう少年雑誌が続々と出始めた。そして、漫画が大手を振って掲載されるようになる。

それでね、いまあらためて見て「あれ?」と思ったのは、最初に手塚さんがいて、それに刺激されて他の漫画家が出てきたと思い込んでいたんですけど、どうも手塚さんと同時に出てきた人たちが大勢いたんですね。

――実際、昭和20年代の少年雑誌にこれだけ漫画が載っているということは、戦争中から漫画家予備軍はけっこういた?

【鈴木】そういうことかもしれない。それで戦争が終わり、アメリカに占領される。さっき話したように大人が自信を失っていた時期ですよね。

子どもが社会の主役として躍り出て、日本独自の子ども文化が誕生する。そこに向けて漫画を提供するというのは、文化的にも商売的にも画期的なことだったんじゃないか……なんて気もしますね。あくまでぼくなりの見方ですけどね。

「立派な少年にならなければならない」

――なるほど。終戦後、中学を卒業したばかりの“子ども”が、少し年下の“子ども”に向けて漫画を描き、独自の子ども文化をつくってきた。

【鈴木】その集中砲火を浴びたのがぼくらの世代ですよ(笑)。

――そう考えると、その後、日本が子ども向けの漫画、アニメ、ゲーム市場をリードしてきた理由もわかる気がしますね。

【鈴木】漫画の影響っていろいろあって、たとえば「自分が主役にならなきゃいけない」という意識も植え付けられたんですよ。物心つかないうちに。

――漫画に出てくるヒーローにみたいにならなきゃいけないと?

【鈴木】そうです。大人が自信を失ってぼんやりしている間に、16歳の漫画家がヒーロー物を描くでしょう。それを読んだぼくらは立派な少年になって、この国をなんとかしなきゃいけないと思った。

――立派な大人じゃなくて、立派な少年にならなきゃいけない。

【鈴木】だから、『赤胴鈴之助』も流行るんですよ。

――でも、それってけっこう根深い価値観というか、ぼくら団塊ジュニアの世代にも、ちょっと残っているような気がします。