結婚後の生活
両家へのあいさつが終わると、西山さんと男性は入籍し、その足で普段よりちょっと高級な店で食事をした。西山さんは、優しく頼りになる男性と夫婦になれたことで、ウキウキした気分だった。
ところが食事が終わり、会計をする際、夫は財布を出さなかった。西山さんは「あれ?」と思いながらも全額支払った。また、夫は、結婚前は母親と別居すると話していたが、結婚生活は、夫の実家でスタートした。夫は、結婚前は母親とは別居すると話していたが、その後も別居する素振りはみじんも見せなかった。
義母はまだ73歳だったが、手が不自由で家事ができない。夫も「けがでもしたら大変」と口うるさく言って、母親に家事をさせなかった。西山さんは、体が不自由な姑と同居の再婚生活をすることを余儀なくされたのだ。
西山さんはフルタイムの仕事に加え、これまで自分の実家で母親がしてくれていた料理までしなくてはならなくなり、再婚前より忙しくなる。それでも念願の再婚がかない、幸せだった。再婚から
約2カ月後までは……。
いったい約2カ月後に何があったのか。
なんと突然夫は、「職場の人たちと話が合わない」と言って板前の仕事を辞めてきてしまったのだ。その後、何度か再就職を試みていたが、いずれも2週間ほどで辞め、とうとう再就職先を探さなくなってしまう。
「私は『主夫になって』などと言ったことはなく、むしろバリバリ働いてほしかったのですが、働いてくれなくなり、家計は火の車。自分で事業を起こしたいと言っていましたが、一向に進んでいない様子でした。机上の空論ですね。夢ばかり大きかったです。私は前の夫のことがあり、事業を起こすのは反対で、その話には一切関わろうとしませんでした」
まさかの事態はそれだけではなかった。
勝手に仕事を辞めたのとほぼ同時期に、西山さんへの暴言が始まったのだ。きっかけは、仕事で帰ってくるのが遅かったことだった。帰宅するなり、「帰ってくるのが遅い! 別れる!」と騒ぎ出し、離婚届を突きつける。びっくりした西山さんは平謝りでなだめるしかなかった。
さらに、息子への厳しいしつけも目に余るようになっていく。食事の仕方に関しては、口を閉じて食べろ、30回は噛め、ゆっくり食べろ、おかずばかり食べるな、ありがたみを持って食べろ……。家事に関しては、料理の支度の手伝い、風呂掃除、犬の散歩、洗濯干しなどをさせた。
「冬場、息子の手が霜焼けで真っ赤になって大変なときがあり、私が代わりにやろうとしたら夫に制されて、『俺は娘をそうやって育ててきて、良い子になった』と言われました。あとは、私にも息子にも、好きなテレビ番組を見せてもらえませんでした。笑いながら見ていると、番組に文句ばっかり言って、『こんなしょうもないもの見るな』と、有無を言わさず消されました」
夫は仕事を辞めた後、料理は得意だったらしく、料理だけはしてくれた。西山さんが仕事で遅くなったときは、息子に夕飯を食べさせてくれていた。ただ、中学生になった息子は、食べ盛りだったにもかかわらず、夫は、「ご飯をそんなに食べるな! 家族で食べる分がなくなるだろう!」と言って十分な量を食べさせなかった。かわいそうに思っていた西山さんは、こっそりパンやお菓子を渡し、息子は自分の部屋で食べた。
また、結婚前には、「妻に料理をしてもらうのが夢だった」と語っていた夫だが、西山さんが作る料理が少しでも焦げていたりすると、「こんなもの食べれるか! どうせよそ見でもしていたんだろ!」などと容赦なくダメ出しをした。
再婚相手の人間性に問題があるのは明らかだった。今から思えば、西山さんの母親が初めてこの男性に会った時に「キョロキョロと家の中を見回していて気味が悪かった」と言ったのは正しかったのだと、西山さんは心底思い、見抜けなかった自分を悔いた。
仕事で疲れて帰ってきては、日々、罵倒される西山さん。同居していた義母はその姿を見て見ぬ振りで、息子は自分の部屋まで聞こえてくる暴言に耳をふさぎ、震えていた。(以下、後編へ続く)