安倍氏が岸田氏を総理にしたという事実

かつての安倍内閣でも、党内融和を考え総裁選で戦った候補者を閣内に取り込んできた。これは自民党の伝統とも言える。激しい権力闘争の後は、一致団結して、国政に当たるため「挙党態勢」を組む。それと同時に、次のリーダーを育成していくこともまた総理総裁には求められる。

安倍氏は、岸田氏を外務大臣、政調会長と内閣、党の重要ポストに位置づけ、「次(の総理)は岸田さん」と公言することも多かったことから、安倍氏の中で、岸田氏は安倍政権後の総裁候補の一人であり続けたのは間違いない。

前々回は、菅前総理を支持したものの、前回の総裁選で、高市氏を急遽応援しようとしたこともまた戦略のひとつだったとの分析もできる。

安倍氏は河野氏が総裁になるのだけは何としても阻止したかった。安倍氏は細田派がすべてまとまって岸田氏を支持すれば間違いなく、岸田氏は総裁になるとわかっていたが、安倍氏もまた細田派が岸田氏で一枚岩でないことを痛感していた。自民党の支持率が低くなっていた当時、細田派の若手が世論受けのいい河野陣営に流れることを安倍氏は知っていたからである。

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派閥横断的支持を得て総裁になった安倍氏だからこそ、細田派をすべて一本化することの難しさもまた実感していたのに違いない。事実、安倍派とはいえ、その内実はいくつかのグループに分かれており、総論安倍支持、各論それぞれのグループ長支持というのが安倍派である。大所帯であるがゆえだが、岸田首相率いる宏池会では考えられないほど緩いつながりなのだ。

安倍氏の高市氏応援により、岸田氏は世論からの支持の高かった「河野、小泉、石破」連合に打ち勝つことができたとも言える。国会議員票では、岸田氏の票は多かったかもしれないが、党員の支持は明らかに知名度の高い河野氏の後塵を拝しており、コアの保守層を高市氏が固めることにより票が分散化されたからだ。

高市氏の存在によって、削られた陣営は河野氏側であったのはほぼ確実だった。河野氏支持だった選挙の弱い当選回数の低い若手は安倍氏に言われるまま、高市氏の支持へと回った。

巧みな戦略で安倍氏は岸田氏を総理に押し上げた、そのことは岸田総理も重々理解しているはずだ。だからこそ、自らもまた安倍氏と同様に、次期リーダーはこの手で作り上げたいと考えているはずである。