男性はかつては「親切なおじいちゃん」だった
洋服類、書類をどかしていくと、下から女の子の写真が出てきた。ギザギザ円に形どられた黄色の画用紙の真ん中に写真が貼ってあり、その下に名前が書かれている。依頼主である女性(居住者男性の娘)と同じ名字であったため、おそらく「孫」だろう。その周辺には幼い子たちからの「感謝状」らしきものもある。
きっと居住者の男性はかつて“親切なおじいちゃん”だったのだ。物の山の下のほうにいくほど、整理整頓がされている。お金は1円、10円、100円と小分けされ、バッグにはタオルや小物類がきれいにおさまっていた。以前の“普通の生活”がうかがえた。
この居住者の男性をはじめ、人並みに暮らしていた独居高齢者が「異常な生活」に追い込まれるのはなぜだろう。
「物をため込む」心理に詳しい上越教育大学大学院心理臨床コースの五十嵐透子教授に、この家の写真を見せながら聞いた。
「いろいろな理由が考えられますが、一つに体の健康状態が非常に大きいと思います。物を処分するのは身体的にも大変です。そして日本人特有の精神として『人に迷惑をかけたくない』意識が強い。人に頼むくらいならこのままでいい、と思うのでしょう」
「人はどんな環境にも慣れてしまうんです」
そして物をため込む行動のその背景には、「喪失体験」があることが多い。
「大事な人を亡くしたり離婚したり、失業、あるいは幼少期からのネグレクト(育児放棄)、トラウマなど、何かを失ったことに対する恐怖、安心できなかった生育環境が物へのため込み行動に結びつきやすいのです。もちろん、誰しも少なからず喪失体験は経験するものなので、喪失に対する脆弱性があるのかもしれません。物をため込む人は、人をあてにできないので、物に対する愛着が強く、『安心できる所有物』が取り除かれることへの恐怖感があります」
たとえ傍目にはゴミの山に見えても、本人には大切なものばかり。今回の部屋に住む男性にとって「孫の写真」は失いたくないメモリーということだ。しかしそうは言っても、この不衛生な環境で本当に“安心感”を抱けるのだろうか?
「慣れるんですよ」と五十嵐教授が続ける。
「コロナ禍での制約にとても負担を感じていたのが、やがて違和感がなくなるように、人はどんな環境にも慣れてしまうんです」
とはいえゴミ屋敷という環境は、ゴミ山から転落死することもあれば、夏には熱中症で死亡することもある。不衛生な環境で感染症にかかって死に至ることもある。「死ぬかもしれない」環境に慣れるのは、周囲から孤立し、生きることに投げやりになっているのかもしれない。