「ため込むことでしか生きられない」という苦しさ

「おつかれさまでした。ありがとうございます」

依頼人の女性が10本程度のペットボトル飲料が入った袋を差し出す。「みなさんで召し上がってください」と笑顔で言われ、「ありがとうございます」と私が受け取った。

モノであふれていて、窓を開けることもできない。
モノであふれていて、窓を開けることもできない。(撮影=笹井恵里子)

すると次の瞬間、隣にいた男性に向き直り、「まだあれで3分の1なんですって」と厳しい口調で言う。男性は、ゴミ屋敷の真下に住む人のようだった。彼もうんざりした表情で言う。

「この人たちが次に来るまで、俺も手伝うよ。もうあそこがねずみの巣になっているんだよな。風呂場の穴から下水を伝わって、うちにもねずみが入ってくる。ねずみ捕りを仕掛けてだいぶ獲ったけど、賢いからつかまらない奴もいるんだよね」

娘、同じアパートの住人、不動産会社の男性たちの気持ちもわかる。もし私が近隣に住んでいたら、自分が管理側だったら、やっぱり怒るかもしれない。けれども、もし自分が男性側だったら? 自分には「思い出」しかなくて、だから物が捨てられない。そうやってため込むことでしか生きられない自分に対して、皆が迷惑していたらと想像すると、胸が苦しくなった。

傘も大量にためこまれていた。
撮影=笹井恵里子
傘も大量にためこまれていた。

重要なのは、その人の「存在を認める」ということ

地域にいわゆる「ゴミ屋敷」がある時、その近辺に住む人は自分を被害者だと思うだろう。けれどもそれが一掃されたら、ゴミ屋敷の住人も「被害者」とはいえないだろうか。彼らは大切な物を取り上げられたのだ。

五十嵐教授も、こう強調する。

「ゴミ屋敷という言葉自体に、本当は弊害があるんです。本人にとってはゴミではない。ゴミと言ってしまうことで、それは不要なもの、あなたは間違っていると、その人を否定することになる。それは支援ではありません。もし第三者の手によっていったん部屋がきれいになり、その状態が維持されているのであれば、家族は『今日もきれいにしてくれてありがとう』という態度で日々接してほしい。物が増えないことは当たり前だと思うかもしれませんが、その人なりにがんばっているんです。家族以外の場合は、難しいとは思いますが、その人と顔を合わせるたびにせめて挨拶をしてあげてほしい」

それはその人の「存在を認める」ということだ。

作業の翌日、私の顔に原因不明の湿疹ができた。

ゴミ屋敷に入り、ダニに刺されたらしいかゆみや赤みが背中や足に出ることはよくあったが、顔にできたのは初めてである。ストレスなのかもしれない、と感じた。汚い場所を掃除したストレスというより、片付けることが「居住者の安心」を壊してしまったのではないかという不安にかられたのだった。

誰かが部屋をきれいにしても、放置すれば、その人は再び物をため込む生活に戻りやすい。社会の、家族の一員として存在を認め、話し合いによって「共に暮らすルール」を築けるといいと思う。

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