「戦国大名だから当たり前」ではない

第二が、戦国大名ならば必然的に天下統一をめざすという前提であるが、戦国大名の推し進める分権化と、信長がめざした統一すなわち集権化は、まったくベクトルが逆ではないか。

戦国大名の動きの延長上には、数カ国規模の領地のゆるやかな統合と自立しかないのであって、信長はある段階から自覚的にその逆方向の改革を開始したと理解せねば、論理的に成り立たない。

近年における戦国大名研究の進展によって、領国支配の実態の詳細が判明し、在地性深化すなわち分権化を推進したことが明らかになっている。最盛期の戦国大名にあっても、その動きは地域ブロックの覇者をめざすものであり、各領国の自立を志向するものだった。

やはり戦国動乱の末に、必然的に天下統一の方向に向かったのではないのである。なお今年度改訂の高等学校日本史教科書から、如上の天下統一に関する見方は撤回された。

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「勝てる戦争」を保証した鉄炮、天下統一の原動力に…

権力対民衆の最終決戦の末に天下統一が実現したというのは、見方を変えれば一国史観といってもよい。「日本史」という枠組みによって、私たちはあたかも古代以来、一貫して日本国があるのが前提で、うっかりすると国内事情のみで歴史が展開してきたと考えがちである。

そもそも日本という国号が浸透するのは、中国から律令体制と都城制度を導入した八世紀のことであり、古代・中世では東アジア世界のなかで、そして信長の生きた大航海時代からはヨーロッパも含む地球規模の世界のなかで歴史が紡がれたのであり、古代以来何度か経験した歴史的大転換の本質は、世界的変動への国家的対応だったと筆者はみている。

戦国時代の国内的な歴史の本流は分権化の深化だったのであり、それを統一というまったく逆の方向に舵を切らせたのは、国際的な要因が大きかった。注目されるのが、ヨーロッパやアジアからの新兵器鉄炮の伝播・受容に端を発する戦国日本の「軍事革命」だ。

大量の鉄炮の組織的使用は勝利を約束したが、その反面、莫大な軍事費を必要とした。砲術師・鉄砲鍛冶・武器商人の確保、鉛(玉の素材)や高価な硝石(火薬の原料)の国外からの大量輸入、普段からの鉄砲や大砲の射撃訓練、馬防柵や陣所・要塞の短期普請のための大量の資材確保、これらがセットになって機能して、はじめて「勝てる戦争」を保証にしたのである。