東京にいても「沖縄のことがとにかく自慢だった」

沖縄には、終戦直後、灰塵と化した故郷の土の中から必死になって商売の種を掘り起こし、自立を求めて土壌を耕した「第1世代」がいる。その基盤を受け継ぎ、ビジネスの骨格を整え育てたのが今の80~90代の「第2世代」。そして現在は、彼らの苦闘から生まれた“結晶”を枕に育った「第3世代」が、県内の主要企業で経営の舵取りを担っている。

糸数社長と由乃社長はまさに、その「第3世代」の代表格だ。それぞれ米軍統治時代の沖縄に生まれ、裕福な家庭環境から思春期にパスポートで海を渡り、そこで本土復帰の瞬間を迎えた特別な原体験がある。2人が手がける一貫した売り場改革の原動力は、この原体験に直結している。

筆者撮影
リウボウインダストリーの糸数剛一社長。デパートのほかに、ストア13店舗、沖縄ファミリーマート約330店を束ねるリウボウホールディングス会長を務める

「沖縄のことがとにかく自慢だった。マイナスなんて、ほとんど感じたことはなかった」

東京に移り住んだ当時の思い出を語る糸数社長からは、ためらいもなく“優越感”を表す言葉があふれ出てくる。地元の損害保険会社に勤める父親の仕事の関係で本土復帰を迎える直前の71年、小学校6年の時に沖縄を離れ、東京都文京区の中・高校を出て早稲田大学へと進んだ。

外から沖縄を観察した経験が今に生きている

「都心の百貨店の食品売り場なんかにいくと、沖縄のマチヤグヮー(商店)で普通に買える缶詰やお菓子がインポートの高級品として高い値段で売られている。近くの海水浴場にいくと、みんなが真っ黒な海で泳いでいる。これにもかなり驚きました。沖縄はなんてすごいところなんだ、大人たちから聞かされていた本土のイメージとはまったく違うじゃないかと」(糸数氏)

外貨ドルが貴重で輸入品がなかなか手に入らなかった日本本土と比べると、沖縄はまるで異次元の世界だった。那覇の国際通りには、チョコレートやキャンディー、洋酒や貴金属、万年筆、ライターなど輸入品を扱う店が軒を連ね、「洋酒天国」「買い物天国」に沸いていた。

「沖縄の人たちの当時の平均的な生活自体はまだまだ貧しく、米軍施政権下にあって事件や事故でいろんな不利益を食らってた。それでも、親父たちの世代はアメリカ人と一緒に働いて、僕らなんかよりよっぽどしたたかに当時を生きた。アメリカであることの良い面と悪い面、強みと弱みの両方が分かっていたのだと思います。小学6年にして、外から沖縄のそんな立ち位置が全部見えた。自分は沖縄人なんだな、と思いましたよ」

「沖縄」を強烈に意識した実体験をベースにその後、米国ファミリーマートCEO、沖縄ファミリーマート社長を経てリウボウインダストリー社長を務める糸数社長は、地域に根ざした独自性の追求で、低迷していた各社の業績を上向かせた。