「東京にあるものを沖縄にも」と歩んだ50年
小さな島の狭い商圏に黒船のごとく新たな商業施設が続々と押し寄せてくる――。太平洋戦争終結後、米軍占領下に置かれた沖縄が日本本土に復帰したのは1972年。中小零細の地元企業は絶えず、本土や米系の巨大資本の流入にさらされてきた。
時代環境への変化対応と淘汰を繰り返し、県内の流通小売業界は、沖縄県民の胃袋とお財布と向き合いながら「東京にあるものを沖縄にも」と、本土並み、均質化を極めた、そんな“復帰後”だった。
コロナ禍を経て、頼みの綱の観光需要がはがれ落ちたタイミングでやってきた「本土復帰50周年」の節目。便利で快適な買い物空間が広がった一方で、多様な異文化とのミクスチャーに彩られた特異な生い立ち、内側から燃え立つような熱気や躍動を、街歩きの風景から感じにくくなった。
沖縄の小売業界を牽引する“老舗”の挑戦
そんな、“沖縄色”が薄まりつつある小売業界の中で、転換期を迎えた注目すべき2つの老舗小売店がある。戦後の米軍施政権下にあった1950年代の沖縄で、海外からの舶来品を集めて顧客基盤を強固にした那覇市の「デパートリウボウ」と、本島中部・沖縄市にある「プラザハウス・ショッピングセンター」だ。
それぞれ、米軍人相手の商売から始まり、創業から約70年。生活必需品以上の価値提供を期待される小売店としては、もはや沖縄では希少な存在になった。だが脅威が増すごとに、この2つの店は根を深めるかのごとく、地域に根ざした売り場改革の方向性を鮮明にしている。
この土地で次の50年を生きる原動力、原風景を自ら掘り起こす側に回れるか。創業者が県民のために残した“遺産”を生かし切ろうと奮闘する、改革の最前線を取材した。
新たな特産品「宮古島メロン」に注文が殺到
この1年の間に、宮古島の隠れた特産品「宮古島メロン」が、マンゴーに続く新たな高級フルーツとして急速に認知を広げた。地元の事業者らが5年ほど前から栽培方法の研究やブランディングに力を入れてきたのだが、その取り組みに光を当て、一段高いステージに引っ張り上げたのが、沖縄で唯一の百貨店、デパートリウボウだった。
今年3月下旬からの春シーズン、宮古島メロンは日照不足などの影響を受ける中、認知度アップの勢いに出荷量が追いつかず、リウボウや地元「島の駅みやこ」の店頭はすでに品薄の状態。相次ぐ予約注文に、店舗スタッフは冷や汗をかく日々が続いている。