「洒落心教えてもらった」すべての始まりは憧れから

プラザハウスの由乃社長にとっての“本土生活“の衝撃も、いまだおぼろげなく鮮明だ。基地の周辺は治安が悪く、娘の安全を考えた父親が一時的に熊本県内の私立中学に「留学」させた。本土復帰前年の1971年のことだ。「寮生活は芋掘りとたくあん漬けの思い出。沖縄での暮らしとのあまりの違いに、本当にびっくりしたんです」と由乃社長は振り返る。

パーティーに出かける母親の華やかな装いに憧れた。隣人の外国人から引っ越し祝いに贈られたのは、家族一人一人に名前が刺繍されたふかふかのバスタオルだった。米軍人だけでなく、商売のために沖縄に移住してきた民間の外国人らとの交流を通して、「洒落心を教えてもらった」という。

由乃社長は20代、東京の専門学校で彫金を学び、ジュエリー製作会社などに勤務。憧れのデザイナーに師事し、海外での創作活動や、アクセサリー、インテリア雑貨などの企画生産業務に携わった。自ら商品を買い付けに1年の3分の1以上、海外を飛び回る。現役凄腕バイヤーとして特別な存在感を放っている。

異国情緒あふれる土地柄を表現したフードマーケットやホテル風のインテリア雑貨をそろえた店など新しい展開を進めるプラザハウスの平良由乃社長=沖縄市・プラザハウス
筆者撮影
異国情緒あふれる土地柄を表現したフードマーケットやホテル風のインテリア雑貨をそろえた店など新しい展開を進めるプラザハウスの平良由乃社長=沖縄市・プラザハウス

本土復帰後のリウボウやプラザハウスは、「本土並み」へと向かう目標の先頭を切って、外のものを沖縄へ集め、“日本回帰”をリードしてきた。

だが、次の50年は逆方向のベクトルを駆動させる役割を負う。アジア太平洋のキーストーンである沖縄で生まれる文化や商材を、日本本土や海外へ届ける。つくり手と直接つながり、商品開発、文化創造の根本に関わっていく。「メーカー」となることに、新たな役割を見出すことができる。

小売業界はもう選ぶ立場ではなくなっている

その一方で、両社には新たな“期待と課題”も突きつけられている。

それは、「人」の育成だ。

生産者と消費者の直接取引がかなうネット通販市場が拡大、冷凍技術の進化や商流の多様化も進む中、これまで物流コストの障壁に埋もれ隠されてきた島々の希少で美味しい、おもしろい商材にもスポットが当たるようになってきた。

それと同時に、こだわりの素材と情熱あるつくり手を求めて、原材料や素材獲得の綱引き合戦が始まろうとしている。「売ってあげる」「買ってあげる」、「だから安くして」がまかり通る流通小売業界のヒエラルキーは、早晩覆ることになる。たくさんの選択肢の中から“出口”を選ぶのは、今や小売り側ではない。逸品を極めたつくり手、生産者のほうだ。