母親の遠距離介護

次に中野さんは、「温かい食事が食べられて、見守りもしてくれるところはないか」と考え始める。

すると、母親を担当していたケアマネジャーが、「ケアハウス」を提案。ケアマネによると、「ケアハウスは軽費養護老人ホームと言って、ひとりで自立した生活はできるが、見守りが必要な皆さんがお世話になる施設」とのこと。中野さんはすぐに母親を連れて施設を見学し、寮母長と話をした。費用的にも、食事の内容的にも気に入った中野さんと母親は、早速入居を申し込む。

約1年間の空き待ちを経て、ケアハウスに入居が決まったのは2015年3月。まだALS発症前だった妻もケアハウスを訪れ、家具の配置について3人で話し合った。

そして同じ年、妻のALSが発覚した。

「関東では、妻のALSの進行スピードに負けまいと、必死に先取りをして動き回るという、目まぐるしい日々を過ごしていたので、そんな生活から抜け出せる束の間が、母の様子を見に行く仙台通いでした。大変ではありましたが、新幹線で300kmの距離を移動することが気分転換になったと思います」

母親がケアハウスに入居してからも、中野さんは仙台に通い続けた。2016年のゴールデンウイークと年末年始は、母親を関東の家に招き、車椅子の妻と車椅子の母親の3人で、買物や公園に出かけるなどして過ごした。

「家の近くの公園で、車椅子で仲良く並ぶ2人にスマホのカメラを向けたら、ほっこりした気持ちにもなりましたが、2人を背負っている自分を再認識し、重苦しい気持ちにもなりました……」

できるだけ遠くへ行こう

中野さんは、妻のALS発症以降、病気や介護の勉強をスタート。妻の病状の進行は思いのほか早く、「追いつけ追い越せ」の気持ちで自身の介護スキルを磨き、次のステージを想定し、補助用具などを準備してきた。

同時に中野さん夫婦は、「まもなく身体がもっと動かせなくなる」前に、「できるだけ遠くに2人で旅行へ行こう」と話し合っていた。

本当は友人夫婦が暮らすバリ島へ行きたかったが、それは妻の病状の進行具合からして無謀だ。そこで2人は、大学の後輩が運営している障害者向けの旅行会社を利用して、石垣島・竹富島へ行くことに。旅行会社は、飛行機、福祉タクシー、バリアフリールーム、介助スタッフなどをそろえてくれた。

写真=iStock.com/wataru aoki
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主治医に相談すると、石垣島の病院に知り合いがいるとのことで、「何かあったときのために」と、詳しい医療情報提供書を作成してくれた。

7月。現地に着くと、介護タクシーで走り回り、竹富島では牛車にも乗車。車椅子で砂浜にも降りた。夜は満天の星空の下、おいしい食事と生ビールを楽しみ、終始妻も中野さんも笑顔だった。

ところが、旅行から戻ってまもなく妻は自発呼吸が難しくなり、呼吸器官の筋力トレーニングのために使用していたマスク型の人口呼吸器が手放せなくなる。

9月には病院に駆け込み、急いで気管切開し、人工呼吸器の使用を開始。さらに10月には、まもなく自力で飲み込むことができなくなることを想定して、胃ろうを造設。

石垣島旅行直前まで車椅子通勤をしていた妻だが、いよいよ働くことが難しくなり、この入院を期に休職。11月に退院すると、ついに本格的な在宅介護生活が始まった。