「ホルマリンのプールに遺体を沈めるアルバイト」は存在しない

——確かにそうですね。では、「ホルマリンのプールに遺体を沈めるバイト」は存在するのでしょうか。

親戚のおじさんがやった経験があるとか、あの先生が学生時代にやっていたらしいという情報はたくさんあります。でも、実際に経験したと証言する人には会った人はいない。真偽不明だから、ウソだとも、本当にあるとも言えない。

この話の基になったと考えられるのは、大江健三郎さんの小説『死者の奢り』だと言われています。

「死者たちは、濃褐色の液に浸かって、腕を絡みあい、頭を押しつけあって、ぎっしり浮かび、また半ば沈みかかっている」(『死者の奢り・飼育』(新潮文庫)p.8)

おどろおどろしい描写が印象に残っている人も多いのではないでしょうか。

『死者の奢り』が発表されたのは、1957年です。それから半世紀以上、語り継がれてきたと考えられます。でも、考えてみてください。ご遺体が浮かんでくるのなら、蓋をすればすむ話でしょう。合理的に考えるとわざわざ学生バイトを雇って棒で沈める必要はないはずです。

ホルマリンプールは存在するが、作業しているのは専門の技術者

そんな疑問から「ホルマリンのプールに遺体を沈めるアルバイト」は、現実に存在するのか、調べてみました。

まずホルマリンには揮発きはつ性があり、近くにいれば中毒を起こす恐れもあります。そんな劇薬を満たしたプールでアルバイトに作業させるとは考えにくい。私自身もご遺体の衛生管理の一環としてホルマリン系の消毒剤を購入した経験があります。薬剤をあつかうために、関連の資格も取得しました。そうした体験を振り返っても、アルバイトが簡単にできる仕事だとは思えません。

大学病院の窓口に尋ねてみたのですが、守秘義務があり、答えてもらえなかった。そんなときに病院にホルマリンを納入している業者の方と知り会って、いろいろと教えてもらいました。

大学の医学部では解剖実習をするために、献体されたご遺体を保存する必要があります。そのためにも、ホルマリンでご遺体の組織を「固定」しなければなりません。その後、ご遺体からホルマリンを抜くためにアルコールを満たしたプールに浸します。業者の方によれば、プールと言っても広さは温泉の大浴場ほど。ホルマリンプールは、確かに存在していたのです。

では、そのご遺体を誰が管理しているのか。学生のアルバイトにまかせているのか。調べていくと献体されたご遺体には医学的な処置が必要なために、専門の技術者が行っていることが分かりました。

画像=加藤萬製作所
急速遺体防腐処理装置。遺体処理の期間を短縮することができる

ただし、最近はホルマリンを抜く作業は箱形の「遺体処理装置」で行うケースが増えています。ホルマリンをプールで抜くと3カ月かかるのに対して「遺体処理装置」を使えば1カ月ほどですむそうです。

——誰もが知る都市伝説の裏にそんな事実があるとは。面白いですね。

そうなんです。調べてみて語り継がれる都市伝説が発生した背景や、遺体に関わる仕事など……一般の方々がふだんは意識しないであろう、死やご遺体をめぐるさまざまな現場が見えてきたんです。

(聞き手・構成=山川徹)
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