これを受ける形で、河瀬さんは11日になって初めて「NHKの取材班には、オリンピック映画に臨む中で、私が感じている想いを一貫してお伝えしてきたつもりでしたので、公式映画チームが取材をした事実と異なる内容が含まれていたことが、本当に、残念でなりません」とコメントを出しただけ。
河瀬さんは、当初から番組の偏向性を認識していなかったのか、それとも承知していたにもかかわらずあえて黙認していたのか。番組の主役が「残念です」とひとごとのように振る舞っていては、できあがった公式映画の価値も色あせてしまう。
河瀬さんの五輪への執着やNHKとの蜜月ぶりは週刊文春(1月20号)に詳しいが、このままではNHKと同様に五輪反対運動に冷淡だったと言われかねない。自らの立ち位置を鮮明にするためにも、河瀬さんの存念を聞きたいところだ。
多発する「捏造疑惑」は放送界の危機
「反対運動がカネで動員された」という「捏造疑惑」は、東京MXテレビが17年1月2日に放送した「ニュース女子」の沖縄の米軍ヘリパッド建設工事の反対運動をめぐる「捏造疑惑」と酷似している。
番組では、反対派の人たちを「テロリストみたい」と揶揄し、何らかの組織に雇われ「日当」をもらっているというデマを流した。
東京MXテレビは「捏造」を認めなかったが、BPOは「重大な放送倫理違反があった」と断じ、司法による名誉棄損も認定された。裏付け取材をまったくせずに、反対運動をおとしめることになった構図は、二重写しになる。
2つの「事件」に根底で共通するのは、「公権力に逆らう人を疎ましく感じる意識」や「人はカネでしか動かないという偏見」ではないだろうか。
「ニュース女子」は、当時、東京MXテレビの最大のスポンサーであった化粧品会社DHCグループの持ち込み番組だった。一介の民間企業が独自に制作した情報バラエティー番組と、NHKが総力を挙げて制作したドキュメンタリー番組が、根っこの部分で同じ価値観を共有していたとあっては、お笑い種にもならない。
五輪反対デモに関わった人たちも、受信料を払っている「視聴者」である。「字幕事件」は、国民の受信料で成り立つ「公共放送」を自認するNHKが、自ら看板を下ろさざるを得ないような大事件といっても過言でないことを、NHKは肝に銘じなければならないだろう。
放送番組の「捏造疑惑」は後を絶たないが、それは自らのクビを絞めることにほかならない。テレビ離れが進む中、NHKも民放も含めた放送界は、危機感をもって足元から自らを見つめ直さなければならない。