政治をめぐるマスコミの報道姿勢に疑問の目が向けられている。戦史・紛争史研究家の山崎雅弘さんは「本来、ジャーナリズムは『公正に対する中立』をとるべきなのに、大手メディアは対立する双方の問題点を等しく指摘するという『偽の中立』を取っている」という――。

※本稿は、山崎雅弘『底が抜けた国 自浄能力を失った日本は再生できるのか?』(朝日新聞出版)の一部を再編集したものです。

スーツの男性にインタビューをするジャーナリスト
写真=iStock.com/microgen
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自浄作用で不可欠な司法検察と報道機関

ある国で政治腐敗が進行した時、一定の健全さを保つ民主主義国では、社会的な自浄作用が働いて、腐敗の根源である権力者が失脚し、政治腐敗に歯止めがかかります。

その自浄作用で特に重要な役割を担うのが、司法検察とジャーナリズムです。

権力者の不正や汚職、人道的犯罪などが発覚した時、検察は時の権力に従属しない独立した立場で調査と分析を行い、法律に違反している事実が確認されれば、相手が誰であっても起訴して、法の裁きを受けさせます。これが大原則です。

そして大手新聞とテレビ、ラジオなどのマスメディアも、野党や検察とは別の、時の権力に従属しない独立した立場で調査と分析を行い、法律に違反している疑いが確認されれば、相手が誰であっても批判的に追及して、民主主義国では主権者とされる国民の「知る権利」に応える報道を行います。それが、いわゆるジャーナリズムです。

「公益」より「私益」を優先していないか

検察とジャーナリズムは、特定の権力者やその取り巻きの「私益」ではなく、国民全体の利益、つまり「公益」を念頭に置いて、職務を行っています。

倫理の「底が抜けていない」民主主義国では、これが当たり前の光景です。

しかし、現在の日本では検察による自浄作用はその機能を大きく失っているように見えます。そして、もう一つの柱であるジャーナリズムについても、現在の日本では社会的な自浄作用に貢献しているようには見えません。

どちらも、国民全体の利益という「公益」ではなく、特定の権力者やその取り巻きに奉仕し、自分たちも見返りの利益を得るという「私益」を優先しているように思えます。

そんな疑念を抱かせる理由の一つが、大手メディアの「偽りの中立的立場」です。