人は本来、マルチタスクができない

ふたつ以上のことを同時にしたいという欲求に駆られることがあります。つまり、一度に複数の作業、マルチタスクをしたくなるわけです。

マルチタスクは、現代に対応する最も重要なスキルだと考える人もいます。また、若い世代のほうがマルチタスクにすぐれているとも信じられています。注目を常に引くSNSなどのメディアのなかで育つと、そのような能力が自動的に身につくと考える向きさえあります。

マルチタスクを多くこなしていると主張する人は、マルチタスクが得意だとも主張する、という研究もあります。

こうした研究で聞き取り調査の対象になる人々は、マルチタスクによって生産性が落ちているとは考えておらず、むしろ上がったと考えています。しかし、このような主張をする人のなかに、そうではない人と比較してみずからをテストしている人はあまりいません。

マルチタスクを実践する人たちにインタビューした心理学者は、聞き取り調査だけではなく実験も行いました。さまざまなタスクを与え、その結果を、同じタスクをひとつずつこなすように指示した群と比較しました。

結果は明らかでした。マルチタスクをしていた人は生産性が向上しているように感じていましたが、実際には生産性が大幅に低下していたのです(Wang and Tchernev2012; Rosen 2008; Ophir, Nass, and Wagner 2009)。やり遂げた内容の量だけではなく質の面でも、マルチタスクをしていない群より大幅に劣る結果となりました。

特にメールを書きながら運転するなどの実験では、マルチタスクの欠点は痛ましいほどはっきり現れました。しかし、これらの研究で最も興味深いのは、作業の生産性と質が下がることよりも、「マルチタスクをやればやるほど生産性がさらに下がる」ことでした。

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この結果は驚きです。ふつうはやればやるほど生産性が高いと思うからです。

しかし、よく考えると、これは筋が通っています。マルチタスクをしていると思っているときは、実際にはふたつ(以上)のことのあいだで注意をすばやく切り替えているからです。1回切り替えるたびに、集中力を取り戻す瞬間が遅くなります。マルチタスクでは、疲れが溜まり、複数のタスクを扱う能力も下がってしまうのです。

必要なのは「集中」と「持続的な注意」

さて、なぜ私はこの説を紹介したのでしょうか。

それは、「書く」という一言に集約されていることには、たくさんの作業があるからです。意識的かつ実践的に分けて考えなければ、複数の作業を同時にこなす羽目になってしまうからです。

執筆には、キーボードを叩く以外に、読書、理解、熟考、発想、つながりの構築、用語の区別、適切な言葉の模索、構成、整理、編集、修正、リライトなど、さまざまな作業が伴います。

これらすべては単に異なるタスクだというだけではなく、必要な注意力も異なります。必要なのは「集中」と「持続的な注意」です。

集中は、ひとつのことにのみ注意を向けることで、数秒しか持続しません。集中の最大時間は、時代とともに変化していないように見受けられます(Doyle and Zakrajsek2013, 91)。

一方、「持続的注意」は、長い期間にわたってひとつのタスクに集中することです。これは、学ぶため、理解するため、あるいは何かをやり遂げるために必要です。これこそが、気を散らすものが増えたことで最も脅威にさらされているタイプの注意です。

持続的注意の平均持続時間は、時代とともにかなり短くなったとみられています。しかし、人間は訓練によって、ひとつのことにより長く集中できるようにすることができます。

そのためには、マルチタスクを避け、気が散るものを取り除き、文章を完成させるのに必要な異なる種類のタスクをできるだけ分離して互いに干渉しないようにする必要があります。

その点、ドイツの天才社会学者ニクラス・ルーマンが発明したメモ術「ツェッテルカステン」は短いメモの集合ですので、それを使って文章を書くと、妥当な時間でいまのタスクを終えてから次に進めるように、注意の切り替えが自然とできます。