彫心鏤骨の跡はないが
平成不況は、サラリーマンにも、思いもかけない人生を味わわせることになった。働きつづけてきた生活を、プッツンと断ち切られてしまったのだ。そのようなときに読んだ相田の作品になぐさめられた53歳のサラリーマンがいる。
しくじるまい、つまづくまいと肩に力を入れ、ひたむきに歩いてきただけに、進む道をとざされたのは、大きなショックであった。思わず激しい怒りがこみあげてきた。いったいこれまでの努力は、なんのためだったのだろうか。自問をくり返した。相田の本を手にしたのは、このようなときであった。
いいがな
弱音を吐いたって
いいがな
人間だもの
たまには涙を
みせたって
いいがな
生きているんだ
もの
この詩に救われたサラリーマンは、彼だけではなかった。
相田は、ひとを救おうとして、詩をつくり書をしたためたわけではない。彼自身、読者とおなじように、傷つき、くじけ、ぐちにあけくれたくなるような人生を歩いてきたのだ。
相田の作品には、彫心鏤骨の跡がない。さりげなく、自分の思いを、自分のために書いたにすぎないように見える。表現にこころを砕いたとも思えない。
それにしても、10年前に出版された『にんげんだもの』が、ふたたびベストセラー入りしたのをはじめ、地方大手書店では『一生感動一生青春』(1990年6月、文化出版局)、『雨の日には』(1993年10月、文化出版局)も、ベストテン入りしたところさえある。
新刊本と、10年も前に出たおなじ著者の本が同時にベストテン入りするのは、ほかに例がない。