ベトナム戦争を「日本軍による反撃が始まった」と…

三年ほどでマニラ湾米海軍基地の激しい動きが止まった。参謀部の最悪の想定通り、米軍は「日本本土占領」を完了したに違いない。祖国はどうなっているのだろう? 長い静かな時が流れた。

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昭和四十年冬の朝、突如、東の水平線から三機編隊の白い飛行機雲が垂直に上昇すると、島の真上を長い尾を引いて飛び、南シナ海西の水平線に消えていった。米軍の大型爆撃機だ。

朝六時と夕方六時、連日、定期便のような飛行が目撃された。七個編隊から九個編隊、多いときは十七個編隊五十一機という日もあった。

どうやらルバング島のレーダーサイトをチェックポイントにして飛んでいる。方角、往復の飛行時間から計算して仏印(フランス領インドシナ=現ラオス、ベトナム、カンボジア)だ。

米軍がこれほどの戦力を投入するからには「仏印方面で日本軍が再度、猛反撃に出たのだ」と私は確信した。これがベトナム戦争の北爆とは、当時の私が知るはずもなかった。

戦争が継続している証拠が、もう一つあった。

そもそも「任務解除命令」が届いていない

日本人まで動員して「戦争は終わった」と呼びかけながら、なぜ師団司令部から「停戦命令」「任務解除命令」が届かないのか。もし、帝国陸軍が満州で新国軍に再編成されていても、兵籍簿、命令系統は引き継がれているはずだ。私の任務はまだ解かれていない、と判断した。

参謀部から聞かされた今後の戦局推移をもとに、私なりに日本の現状を推論すると、日本本土には米占領軍のカイライ政権が誕生、アメリカ式民主主義に衣替えしたようだ。だが、あくまで大東亜共栄圏確立を目指す真の日本政府は満州に樹立され、戦争を続行している。

大陸の日本新政府は、毛沢東の中共(中国共産党)軍と相いれない蒋介石政権と軍事同盟を結び共同戦線を張っている。満州国、ジャワ、スマトラなどが同盟国で、インドもチャンドラ・ボースが首相になって独立を果たし、友好国になっているかもしれない。

30年間で百件ほどの死傷事件を起こしていた

私は陸軍中野学校で「大東亜共栄圏完成には百年戦争が必要だ」と教え込まれてきた。陸軍参謀本部内の一部には開戦当初から「これは勝てる戦争ではない」という見方もあった。

勝てない戦争なら、負けないように戦えばいい。アメリカは民主主義の国だ。戦争がいつ果てるともない泥沼状態と化し、兵が死に、国民生活が疲弊すれば、アメリカ世論は反戦、厭戦えんせんに傾く。

日本はそれを計算し、降伏でなく条件講和に持ち込む戦略だ、と考えていた。

いま思えば、見当はずれの推論である。しかし、私はそれを信じ1人で戦争を続けていた。