古代ギリシアのアレクサンドロス大王は、わずか10年で地中海からインドに至る広大な帝国を築いた。しかし32歳で早逝したため、草創期のローマ共和国とは激突せず、世界史にはローマの名前が残った。なぜ大王は早逝したのか。その原因は“ある飲み物”にあるという――。
※本稿は、ブノワ・フランクバルム著、神田順子/田辺希久子/村上尚子訳『酔っぱらいが変えた世界史』(原書房)の一部を再編集したものです。
「自分は酒の神の生まれ変わりだ」
これほど不幸な結末になっていなければ、本章は投げられてぐしゃっとつぶれたリンゴの話で終わっていただろう。
時は紀元前三二八年の初め、現サマルカンド州(ウズベキスタン)でのこと。征服した都市を離れるときはいつもそうするように、アレクサンドロスは現地の宮殿で盛大な宴会を開いた。側近たちにとってこの夜は特別なものだった。知事に任命されたクレイトスがそれ以後の遠征からはずされるためだ。
大王の幼なじみ(乳母の弟)であるクレイトスは、この決定に不満をいだき、五〇歳にして大王の不興を買ったのではと恐れている。二二歳年下のアレクサンドロスがクレイトスが死ぬ夢を見て、彼を守るために遠ざけようとしているとは知らなかった。
当時、アレクサンドロスはペルシアを撃破し、エジプトのファラオとなり、いまやインド遠征にとりかかっていた。得意の絶頂にある大王は、側近もふくめだれもが自分にひざまずくことを求めた。
暦の上ではディオニュソスの祝日だったが、自分はこの神の生まれかわりであり、自分を祝うことになるからと祝祭を行なわなかった。謙虚さに欠けるこの態度にクレイトスはいらだち、(大量のワインが供されたことも手伝って)宴会は大荒れとなった。