もし32歳という若さで亡くなっていなかったら
こうして酒豪アレクサンドロス大王は、ローマとの真っ向勝負にいたる前に死んでしまった。東西の文化を融合させようとした彼は、後継者も息子もなく去った。
死の床で相続人の指名はなかった。「だれが統治するのか」との問いに対する答えは、「あなた方のなかで最強の者」だった。
その結果、将軍たちのあいだで戦争が起き、大王が残した帝国はあっというまに分裂していった。大王が三二歳という若さで死んでいなかったら、どうなっていただろうか。
アラビア半島に進攻しようとしていたことは確かだ。東の次は西に興味をもっただろうことも想像にかたくない。地中海、カルタゴ、スペイン、シチリアは約束されたようなものだった。
草創期にあったローマ共和国は、この強大なライバルの前では繁栄を築けなかっただろう。幸運なことに、ローマが第一次マケドニア戦争を戦うのはずっと後(前二一二─二〇五年)のことである。この間に国力をつけたローマは、この戦争に勝利する。
つまりアルコールのおかげで、現代のわれわれはギリシア語を話したり、ギリシアの地酒ウーゾを飲んだり、大勢の神さまを拝んだりせずにすんだのだ。だから大王が残した偉大な遺産よりも、彼の酒臭い影響でその後の世界がどう変わったかを詮索せずにいられない。
たとえば大王の東征以後、中央アジアで東西貿易を担うようになるソグド人がワイン製造技術を中国に伝え、中国では「酒后吐真言(本音は酒で明らかになる)」ということわざが生まれる。現在、中国ではワインをレモネードやソーダで割って飲むことが多い。アレクサンドロスが生きていたら、どれほど嘆いたことだろう。
〈原注〉
※1 Alexandre le Grand ou le roman d’un dieu. Maurice Druon. Del Duca. 1958.
※2 Les mystères d’Alexandre le Grand. Michel de Grèce, Stéphane Allix. Flammarion. 2014.
※3 Hors-série Pour la science n°96.