父母に対する報復行為としてのアルコール摂取

ここまでの物語では、アレクサンドロスには遺伝の影響が色濃くみられる、といってよい。父親は、自分の子どもたちにつねに不満をいだき、トラウマを植えつけてしまうような男だったし、兄には知的障害があった。

そして母は……アレクサンドロスに、おまえはゼウスの子だ、と告げ、父を憎むよう仕向けた。くわえて大王の師だった偉大な哲学者アリストテレスも、ペルシアを滅ぼしてアキレウスの墓をとりもどすよう励ました。

かくて大王は征服にとりつかれた。だがそれだけでなく、アルコールも報復行為の原動力になっていた。「選ばれし者」である大王の遠征軍には、酔いにまかせての暴力がつきものとなった。

なかでももっとも有名なのは、前三三〇年のペルシア帝国の王都ペルセポリスの焼き討ちである。アレクサンドロスさまご一行の乱痴気騒ぎは伝説となった。

遺跡 ペルセポリス のユネスコの世界遺産都市
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なんとペルシア帝国の行政都市スーサでも、前三二五年から三二四年にかけての冬、四二人の兵士が酒飲み競争で命を落としている。優勝したプロマコスは、薄めていないワイン一三リットルを飲み干して死んだ。大王が酒に強いことはよく知られていて、アテナイの喜劇作家メナンドロスも、登場人物の一人に、「君はアレクサンドロス王より飲める」と言わせている。

自己破滅的な飲み方をする大王の姿

クレイトスの死後、得意の絶頂にあった征服者はますます酒と遊蕩におぼれていく。インドや中央アジアにアヘンをもちこんだのも、アレクサンドロス大王だといわれている。

現実から逃避する大王の姿を、歴史小説家ミシェル・ド・グレースがみごとに描いている(※2)

「当初、アレクサンドロスは自分にはなんでも許される、夜な夜な酔いつぶれ、セックスにおぼれてもいい、と信じていた。その後、中央アジアの高地に遠征すると、不品行は悪の域に達し、自制も節度もきかなくなった。放蕩は自己破滅的なものになった。承知の上で限度を超え、意識を失い、命を落とすことさえいとわなかった。誰彼かまわず命を奪い、男とも女とも、無差別に、精根つきるまで愛しあった。酒に力を借り、放蕩でとことんボロボロになって、永遠の休息にいたることを望んだ。だが酔いから覚めると、倦怠感で立つこともできず、絶望はさらに深まった。その退廃的行動は決して弱気からではなく、一貫して意図したものだった」