密林で暮らし、バナナや水牛をとっては食べる日々

日はとっくに暮れていた。やみがジャングルの静寂を支配していた。

ジャングル
写真=iStock.com/pxhidalgo
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「小野田さんはここに骨を埋めるつもりですか」

「任務解除の命令がない限り、ここを動くわけにはいかんのだ」

すでに三時間がたとうとしていた。夕暮れどき、東の空にあった星が、真上まで動いている。私には星が時計である。時刻は九時近くだろう。

「小野田さん、“お宅”はどちらですか?」

突然、鈴木君が妙なことを聞いた。お宅? そんなものあるわけがない。私は「残置諜者ざんちちょうじゃ(※)としてこの島で諜報、ゲリラ戦を戦っているのだ。

※敵の占領地内に残留し、味方の反撃に備えて各種の情報を収集しておく情報員

彼の頭には、二年ほど前、グアム島で発見された横井庄一さんのこと(捜索隊が置いていった日本の新聞で、私は知っていた)があり、私が洞窟どうくつにでも住んでいると思ったようだ。

私たちの部隊は一五度ほど傾斜した密林の斜面で暮らしていた。主食はバナナとヤシ、いぶし肉である。潜伏初期は水牛や馬、野ブタ、山ネコ、尾まで入れたら一メートルもある大トカゲなども食べたが、においがきつくてまずかった。

密林の中でも、バナナ畑やヤシ林が近く、牛が獲りやすい場所を選んで、住民たちが「バハイ」と呼ぶ小屋をつくった。寝室は竹や木を組んで高床にして、じゅうたん代わりに住民から“徴発”した航空会社のバッグをほどいたものを敷いて暮らしていた。

三十年近いこの習慣で、日本に帰還した当初、寝床を一五度ほど傾けなければ眠ることができなかったほどだ。

あっけらかんと“最高機密”を聞いてくる

「オレは逃げ隠れして生きているんじゃない。全島の状況を常時把握するために偵察で動き回っているんだ。それに一カ所に定住していたら、すぐ発見され、ズドンだ」

私はちょっとカンにさわった。

「そりゃそうですよね」

鈴木君はあっけらかんとした顔だ。だが次の質間は、私の急所に触れた。

「小銃の弾丸はあといくつ残ってるんですか。どこに置いてあるんですか?」

「余計なこと聞くな!」

まったく大胆なことを聞く男だ。弾丸の数は私にとって最高機密だ。

三時間ほどの間に、私は生まれ故郷の和歌山のこと、鈴木君が最近の日本の世相や、鳥の住民が私を「山の王様」「山ネコ」と呼んで恐れていることなど、いろんな話をした。

私はまだ確かめねばならないことが残っていた。徹夜しなければならないが、やむをえない。