テントに入らず、大地にあぐらをかいた。

「では、今晩はゆっくり飲み明かしましょう」

彼はジンのびんを持ち、紙のコップを差し出した。

「オレは酒は飲めないんだ。戦前、中国で商社員やってたころさんざん練習したんだが」

彼は「残念だなあ」と一人で飲み始め、「小野田さんは甘党ですか」と豆の缶詰を開けた。

私は彼が先に口にするのを待った。毒殺を警戒したからだ。私の疑いには頓着とんちゃくなく彼は食べ始めた。私も豆をひとさじ、口に含んだ。三十年ぶりの祖国の味だった。

戦争を続けているのに「戦前の日本人に会いたい」

「ところで、君が島へきた本当の目的は?」

小野田寛郎『たった一人の30年戦争』(東京新聞)
小野田寛郎『たった一人の30年戦争』(東京新聞)

「小野田さんに会うためですよ。ボクは戦後生まれだけど、いまの日本と戦前では人間まで変わってしまっているんですよね。新聞で見て本当に陸軍の将校さんが残っているなら、戦前の日本人の考え方を生で聞いてみたい……と」

なんだかわけのわからない話である。

「オレは民主主義者だよ。いや、自由主義者の方がいいな。だから兵隊になる前は中国で随分勝手気ままに遊んだものだ」

「小野田さんは英雄です」と、彼はだし抜けにいった。私は当惑し「英雄とは文武両道に秀でた男をいう」と辞書のような解釈を持ち出し、「オレは英雄じゃない。軍人として与えられた任務をただ忠実に遂行しているだけだ」と説明した。

「一億玉砕、百年戦争を叫んで日本は戦争に突入した。でも現実は、二発の原爆で無条件降伏です。小野田さんは当然のことをしていると簡単にいうけど、ほかの日本人はあっさり手を上げてしまったんですよ。やっぱり英雄だと思うな」

彼と英雄論議をやっても、らちのあく話ではないので、私は話題を変えた。

「日本人はみんなメシを食えているのか。貧乏して苦労しているんじゃないのか?」

私にはどうしても確かめたいことがある。それは祖国のことである。

捜索隊が残した新聞や敵から奪取したトランジスタ・ラジオの日本語短波放送で、私はおおよその祖国の現状は察知していた。私の情勢分析では日本本土は米軍に占領され、カイライ政権がつくられている。しかし、本当の日本政府は満州“現中国東北部”のどこかに存在しているはずだった。

日本からの捜索隊を米軍の謀略だと思い込み…

ルバング島は、フィリピンの首都マニラから南へ約百六十キロ。北緯一四度、東経一二〇度、南シナ海に浮かぶ南北二十七キロ、東西十キロの小さな孤島である。マニラまでプロペラ機で飛んでもわずか三十分、日米の激戦地になったバターン半島ののど元にあいくちを突きつけるように位置している。真北には、あのマッカーサー米軍司令官が「アイ・シャル・リターン」の言葉を残して脱出、再上陸したコレヒドール島の砂浜が見える。