産婦人科を選んだのは病棟が一番明るかったから

撮影=中村治
鳥取大学医学部附属病院の原田省病院長

【原田】現代の日本人って、死についてあまり語らないし、子どもたちにも教えようとしない。

昔は、おじいちゃん、おばあちゃんがだんだんご飯食べられなくなって、やがて寝たきりになって、亡くなる。人間は必ず死ぬ。本来は身近にあるもの。核家族化によって、死から目を背けがちになっている。

【佐々】医師という仕事は、死と向き合う仕事でもありますよね。

【原田】ぼくが産婦人科医を選んだのは、産婦人科の病棟が一番明るかったからです。

不幸なお子さんもいるんですが、ほとんどのお母さんはみんな若くて、周囲の家族も子どもが生まれて希望にあふれている。ただ、隣りの婦人科では、子宮がんなどで悩んでいる患者さんがいる。

【佐々】その意味で産婦人科は明暗のコントラストがくっきりとしている。

【原田】とはいえ、ぼくが死に慣れているかというとそうでもない。先日、ぼくは兄弟のように思っていた親友を亡くしました。

彼は亡くなる前、大阪からわざわざ米子まで来てくれたんです。長くないことが分かっていたんでしょう。ぼくは彼の肩を抱いて「また会おうや」としか言えなかった。

ただ話を聞いて筋トレするしかない

【佐々】原田さんは医師ですから、彼の病状が冷静に分かってしまう。

【原田】ええ。彼が別れを言いに来てくれたことは分かりました。つらかったです。でも何もできない……。佐々さんは『エンド・オブ・ライフ』の扉ページで、〈これは、私の友人、森山文則さんの物語〉と書いています。

森山さんは単なる取材対象者ではなく、友人になっていた。彼のことを、患者さんから人がいいのを見透かされて、無理難題をふっかけられるような〈根っからの優しい人〉と書いています。

その友人にインタビューするのはきつかったのではないですか。インタビューするということはその人間の毒を飲み込むことだと表現する人もいます。佐々さんはその毒とどう対峙したんでしょうか?

【佐々】さっきも言ったように、もうただ聞くしかないんです。そして頭を空っぽにするために筋トレに励みました。そうすると、どんどん重い80キロ、90キロのバーベルが上がっていくんです。

【原田】それは凄い。それだけ精神的に負荷が掛かっていた。

【佐々】とにかく自分の身体を健康に保つための努力をしていましたね。筋トレを続けていると、脳みそから余計なものがそぎ落とされていくというか、自分がシンプルになっていくような気がしました。

【原田】身体がくたくたになれば、余計なことを考えない。