約5000人が住む滋賀県東近江市永源寺では、亡くなる人の約半数は在宅死となっている。この地域で「チーム医療」を整えた花戸貴司医師は、介護の不安を訴える家族に「親の介護は子どもがするものじゃない。この地域で僕ら医療・介護の専門職がやるので、任せてください」と伝えるという。ジャーナリストの笹井恵里子さんの著書『実録・家で死ぬ 在宅医療の理想と現実』(中公新書ラクレ)より紹介する――。

「とりあえず元気だからいいか」という空気がある

——これまで取材した私の勝手な印象ですが、都心よりも地方や離島に住む人のほうが「家で死にたい」という人が多いのかなと感じます。やっぱりその地域を愛しているというのが一つ、それから医療資源が少ないからこそ、ある種諦めと覚悟みたいなものがある気がします。花戸先生のご本(『最期も笑顔で 在宅看取りの医師が伝える幸せな人生のしまい方』朝日新聞出版)を読んでいても、永源寺地域に住むみなさんが「家にいたい」とはっきり仰る姿勢に驚きました。

笹井恵里子『実録・家で死ぬ』(中公新書ラクレ)
笹井恵里子『実録・家で死ぬ』(中公新書ラクレ)

【花戸】価値観に重きを置くところが違うのかもしれませんね。もちろん田舎の人だって病気はできれば治療したいというのがあります。しかし、それよりも生きていく上で心のよりどころになるもの、大切にすべきものが別にしっかりあると思います。持ち家率が高いせいか、建物に対しても、長年生活してきたこの地域に対しても、価値を置いていますね。

——病気は治ったらいいけど、それより農業をするとか、お孫さんの顔を見るのが大事?

【花戸】はい、そういう価値観に重きを置く方は多い気がします。都市部について僕は正直わかりませんが、問題が起きた時に解決しなきゃいけない、困ったことがあれば直さなければいけないというほうに意識が働いてしまうのかもしれないですね。

——とりあえず元気だからいいか、というような“あいまいさ”が受け入れられず、徹底的に治さないと気が済まないのかも。

【花戸】かもしれません。僕がよく話すのは「“状態”は、医療資源を注ぎ込んでも解決しない」ということです。例えば高血圧症、糖尿病、がんというのは長く付き合っていく病気ですよね。それにプラスして高齢になると認知症や、あちこち弱ってくるフレイルという状態になったり、あるいは「独居」がネックにもなります。それらを受け入れながらでも暮らしていけるように、生活の場を整えることが必要なんです。お友達がいて、楽しみがあって、そこに介護が入っていって……。中心にあるのは本人の希望です。どこにいたい、どういうことをしてほしい、あるいはしてほしくないということをしっかり聞いて、いずれ意思表示ができなくなった時期にも周囲が慮れるくらいの理解を深めるようにしています。