※本稿は、森田豊『医者の僕が認知症の母と過ごす23年間のこと』(自由国民社)の一部を再編集したものです。
認知症の検査を嫌がる母
母の場合人一倍手がかかったことは確かだが、認知症の検査を受けたがらない人は決して少なくないように思う。
記憶が曖昧になり、自分が自分でなくなり、言動もおかしくなっていく、そんな病だと診断されるのは誰だって怖い、だからできれば検査したくない、先延ばししたい……。
そう思ってしまうのも人情ではないだろうか。
それに、認知症は「どこが痛い」「あそこが悪い」という、いわゆる「病識」がない。
客観的に見て「ここが悪い」と判断することもできない。
そのため、当人も医師も積極的に治療しようとなかなか思えない。
さらに言えば、認知症で命を落とすということはほとんどない。
今でこそ早期発見のために検査を受けることが推奨されているが、当時は検査をすることはおろか、認知症の疑いを持つことさえ、まれだった。
命を落とす危険がないというのは、本来喜ばしいはずなのだが、そのことが皮肉にも油断を招き、病状を進ませることになるのである。
また、人にもよるが、進行が極めて緩やかであるという点も、認知症の大きな特徴かもしれない。
病識がないまま、ゆっくり進む。日々の暮らしの中で、短期間で生活の質が大幅に落ちることもない。その結果、検査が大幅に遅れることになるのだ。
僕の場合、最初に母の物忘れが顕著になり、体の不調を訴えてきた時点で、認知症の初期だと強く疑うべきだった。
「元気そうだから大丈夫」などと思わずに、積極的に検査を進める心構えをしておくべきだった。
認知症(あるいは軽度認知障害)になっても、本人は気づかない。
本人が自分で「認知症かもしれない」などと考えることは絶対ないし、言わない。
そのことを踏まえ、原因不明の不調を糸口にして、認知症検査を受けてもらう。
そうすれば、認知症の進行を抑えられたのではないだろうか。