※本稿は、森田豊『医者の僕が認知症の母と過ごす23年間のこと』(自由国民社)の一部を再編集したものです。
母がおしゃれをしなくなった
しっかり者の母が甘えてわがままを言うようになったこと以上に、唖然とさせられる性格の変化が、目に見えて起きるようになった。
身だしなみを整えなくなり、清潔感がなくなっていったのだ。
これまでの母は、身だしなみに気を遣う、とてもおしゃれな人だった。朝起きるときちんと着替えて化粧をし、だらしない格好で家の中をうろつくことなど絶対になかった。
特に身につけるものについては意識が高く、毎日コーディネートを変え、清潔なものを着るよう心がけていた。もともと洋服や化粧が大好きで、姉や妻が着ているものを見ては、「どこで買ったの?」「その色、いいわね」と興味を示すことも多かった。
僕はそんなおしゃれな母を、心ひそかに自慢に思っていた。
ところが、その母が日に日におしゃれをしなくなっていった。
スッピン、寝間着のままで一日の大半を過ごしたり、毎日同じものを着て、シミのついた服でも平気で着続けるようになってしまった。
これだけでも僕にとっては相当なショックだったが、追い打ちをかけるように、母は次第に無気力になっていった。朝からソファに横になり、見るともなくテレビばかり見て、日がな一日ゴロゴロ過ごすようになっていった。
「頭の回転が早い母」が、朝から晩までボーッと過ごすように…
本来の母は、何もせずに時間を浪費するような人ではない。習い事をしたり、難しい英語の本を読んだり、世の情勢を知るために新聞に目を通すなど、常に頭を使い、知的活動に勤しんでいた。
また、母は指先を使うのも得意で、料理や裁縫をプロ並みにこなしていた。やるとなったら徹底的にやるタイプで、たった1日でスーツを1着作り上げてみせ、妻を驚かせることもあった。
それに、母は何より人としゃべるのが大好きだった。というか、誰かとしゃべらないと気が済まない人だった。ひとたび口を開こうものなら、お笑い芸人のようなしゃべりっぷりで、マシンガントークを繰り広げるのだ。
ちなみにそんな母の影響を受けてか、僕も姉もおしゃべりで、森田家の一家団欒はしばしばトークバトルの様相を呈した。
「ちょっと待った!」
「今、私がしゃべってるんだから!」
「アンタは黙って私にしゃべらせなさいよ!」
と、それぞれがガンガン好き勝手にしゃべる。けんかしてるのかと勘違いされるくらいの勢いで、しゃべってしゃべって盛り上がる。
しかしいくら僕や姉がまくしたてようと、母には到底かなわない。気づけばみんな母の話に耳を傾けてしまう。母はそのくらい弁が立ち、頭の回転も速い人だったのである。
その母が、朝から晩までボーッと過ごし、何にも関心を示さず、しゃべりもしない。
いくらかしゃべることはあっても、テンポは遅いし、以前のような勢いはない。