「認知症」の「に」の字も出なかった

物忘れに性格の変化、うつのような症状……。

これはひょっとすると、認知症の始まりなんじゃないか。

そういう考えが頭をよぎらなかったわけではない。可能性としては十分考えられると、心のどこかでわかってもいた。

だが、僕は認知症の専門医ではない。心療内科を受診している患者さんは診ていたものの、認知症に関しては門外漢に等しい。

そんな自分がしゃしゃり出て、「認知症じゃないのか」と主治医に詰め寄るのは気がひける。

明らかな誤診であればそれなりの相談もできるが、「もしかしたら」という漠然とした思い込みだけで医師の診断に物申すのは、同じ医師としてためらわれる。

当時はセカンドオピニオンを申し出ることは一般的ではなかった。

そういう思いもあり、通院の付き添いをしてくれた姉には、念のため「認知症かもしれない」と申し添えてくれとだけ告げた。

ただし、物忘れが進み、外出もしたがらないという状況を、医師にできるだけ具体的に伝えるよう頼んだ。

だが、母を診た主治医の口からは、「認知症」の「に」の字も出なかった。認知症検査を強く勧められることも、この時点ではまだなかった。

「主治医の前ではシャキッと」してしまう母

この時認知症という可能性が示されていれば、早期発見により進行を食い止められたのではないかという思いもないではないが、恐らくそれは不可能に近かったと思う。

認知症の早期発見には困難がつきまとう
写真=iStock.com/KatarzynaBialasiewicz
認知症の早期発見には困難がつきまとう

というのも、母は病院に出かけるときに限って身なりを整え、主治医の前ではシャキッとしてみせ、「私は何の問題もないのよ」という顔をしてしまうからだ。

実際、物忘れが進んでいると姉が医師に説明しても、母自身はそれを認めようとしなかった。それどころか、持ち前のトーク力で自らの健在ぶりをアピールし、大したことはないと医師に思わせてしまった。

これでは、いくら姉が現状を伝えても、主治医が正しく判断できるわけもない。