「手段を選ばず検査を受けさせる」と関係がこじれる

こうして母は認知症検査(長谷川式のテスト)をやり切り、認知症の進行を抑える薬・アリセプトを処方される。

最初の異変から治療開始まで、実に7年が経過していた。

本当はもっと早く治療を開始すべきだった。母のこと、家族のことを考えれば、手段を選ばず、何が何でも検査を受けさせ、何としても治療に引っ張って行くべきだったかもしれない。

嫌がろうと何だろうと、治療のためだからと、きつく言って検査をやらせる。

あるいは、認知症検査だと言わずに本人に内緒で受けさせる。

そういうやり方も、あり得なくはない。

だが、そういうやり方はやはりお勧めできない。

なぜなら、だまされたりごまかされたりしたと当人がわかれば、家族や主治医との関係がこじれ、ますます検査を嫌がる可能性も考えられるからだ。

認知症を患っていても、理性が完全に失われたわけではない。

「バカにされた」「裏切られた」と思えば、傷つき、怒り、落ち込みもする。

「認知機能が衰えているんだから、何をしたってわかりゃしない」などと考えるのは傲慢だ。

薬を処方してもらうのも同じである。

「検査をしなくても確実に認知症だろうから、本人に内緒で治療を開始する」という方法も取れなくはないだろうが、何も知らされずに認知症の薬を飲まされていたとわかったら、本人は医師にも家族にも不信感を抱く。

そもそも現在は、治療にしても投薬にしても、本人に開示する義務がある。

処方された薬については、お薬手帳などにすべて記載することが決められている。

たとえ認知機能が衰えたとしても、文字を読んで理解する力まで消えるわけではない。

本人がお薬手帳を目にすれば、「これは何だ!」「一体何の薬を飲まされているのか……」と不安がることも考えられる。

母の場合も、薬に関してはとても関心が高かったから、だまして飲ませたことがバレでもしたら、恐らく激怒したに違いない。

隠しても「お薬手帳」などでバレる
写真=iStock.com/laymul
隠しても「お薬手帳」などでバレる

僕らとの関係が悪くなり、治療が滞ってしまったかもしれない。