本人の言葉があれば残された人も納得できる
——花戸先生はお父様をがんで亡くされたんですよね。
【花戸】もう30年以上前、僕が中学3年生の時に他界しました。父の死をきっかけに人の役に立つ仕事がしたいという思いが強まり、医師を目指しました。母親は今、80代で一人暮らしをしています。ちょうど最近要介護の認定を受けたところですが、これまで「ごはんが食べられないようになったらどうしたいの?」と、患者さんと同じような話をしてきました。隣の福井県には原発もあるので東日本大震災のように被災したり、介護が必要になったらどうするの? ということも聞きました。
すると母親は、「この年やし、何かあってもここにずっといるわ。何も検査してほしくないし、延命治療とかもしてほしくないから」って。僕も「それがいいと思う」と答えました。そういった会話があれば、何かが突然起こっても、あの時こんなこと言っていたな、と振り返ることができるでしょう。病に限らず、事故などで突然お別れしても、本人の言葉があれば残された人はそれを心の支えとして納得することができます。
——あとは親子間で介護を頼らないのですから、地域ごとに支援体制を作るということですよね。その点、永源寺地域のような地方のほうがコミュニティができています。
【花戸】田舎ならではの付き合い、煩わしさを、私は「お互いさん」貯金だと思っています。年を取って体が不自由になったら「お互いさん」を使ってやりくりする。都市部で同じ形を築くのは難しいかもしれませんが、田舎の地縁型コミュニティと違い、都市部では興味型コミュニティといって趣味のサークルであったり同じ会社仲間、あるいはがん患者の会とか、そういったつながり、コミュニティなら作れるのではないでしょうか。
家で死ぬことは、決して医療を諦めることではない
永源寺地域では、多くの人が病院や施設ではなく自宅での生活を希望するという。
この地域で亡くなる人は病院も含めて年間60人。そのうち花戸医師が書く死亡診断書の数は年間25~36枚。つまり地域の約半数は在宅で最期を迎えている。
「家で死ぬことは、決して医療を諦めることでなく、患者さんの気持ちを尊重しながら話し合って出す答え」と、花戸医師は述べている。いつも白衣を着ていないが、そこには「医療者」ではなく「この地域を支える一員」でありたい、という思いがあるという。
医療者と患者本人が“対等”な関係になった時、大家族でなくても希望は言いやすく、叶いやすく、家で穏やかに過ごせるのかもしれない。