「まともな」意識は簡単に崩れる

せん妄の要因は先述の通り複合的で、年齢、重症度、感染(敗血症)、既存の認知症が危険因子となりますが(*6)、この四つが全て揃った時にはじめて発症するものという訳では決してなく、若年でも疾患次第では十分に起こり得ますし、例えば急性アルコール中毒で搬送された患者さんが病院で暴れるというのも、せん妄である場合が多く存在します。

認知症はせん妄の要因のひとつではありますが、認知症だから必ずせん妄になるわけでもなければ、認知症でないからといってせん妄にならないわけでもありません。

病気や事故が多くの人にとって予測し得ないタイミングで本人の目の前に現れることを踏まえれば、何らかの疾患で入院が必要となった誰もが、身体の状態次第で治療を拒否し、それが誰かへの暴力に繋がる可能性をはらんでいます。

つまり「今現在どんなに自分が『まともな』意識を持っていると考えていようが、きっかけさえあればそんな自我はたやすく崩れてしまう」という認識は、医療従事者として、誰にでも何度でも確認したいところです。

入院生活でストレスをため込む患者

一方で、社会的な背景を伴った暴力について。入院は患者さんにとって、心身共に通常ではない状況に置かれる体験です。

身体の痛みや苦しさはもちろん、身体の至るところに入れられたチューブ類への違和感、好きなところに自由に行くこともできず、6時には勝手に電気が付いて21時には勝手に消えてしまう、日常生活をコントロールされている不快感、人生のレールを外れてしまったような先の分からない不安。

「自分はこう在りたい」「他者からこう見られたい」という、日常のささやかな希望を排除され、寝起きの顔すら見られる入院生活の、患者役割に押し込まれたストレスの中で関わる最も身近な存在だからこそ、心身が穏やかでない時の漠然とした怒りや不安が、看護師への苛立ちの形を取ってしまう場面は多々あるように感じます。

そして、例えば「ナースコールで呼んでいるのにどうして早く来ないんだ」「こんなに痛いのにどうして何回も点滴を刺すんだ」と、ひとつひとつは小さな不満だとしても、ネガティブな感情が積み重なり、それが何かのきっかけで爆発して言語的、あるいは身体的な暴力として発露する患者さんの心の動きは、想像に難くないものだと私は考えます。

とはいえ、私達看護師だって人間であり、怒鳴られれば怖いし、殴られれば痛い。相手がせん妄だろうと、どんな背景があろうと、そこで恐怖や痛みを引き受ける看護師もまた、生身の存在です。