ほとんどひきこもり状態の一面を持ちながら、意外なことに学校で仲間と過ごすことにも苦痛はなかったという。
「対人恐怖症的なところも少しあったんですが、教室とか部活では普通にみんなと話せるんです。でも消しサカを一緒に考えた子がファミコンに行っちゃった時点で、自分がやってるのは時代遅れなんだと気付いてはいて、家で消しサカをやってることは言い出せませんでした。そのうち思春期になって周りの友達がどんどん大人になっていくと、恥ずかしいって思いがどんどん大きくなって……。千葉だと、中学でバンドとかやり始めるやつもいましたからね」
深い闇を抱えた日々を過ごしていたのだ。
受験勉強の息抜きは、もちろん「消しサカ」
高校生になって、彼は競馬と出会う。趣味が同じ友人とサラブレッドやダビスタの話をしたり、一人で馬の絵を描いたりすることも楽しくなったが、それでも消しサカはやめられず、ほとんど寝ずにやっていたという。
さらに大学へ進んでからも、相変わらず消しサカ地獄にどっぷりはまっていた。
「さすがに『こんなことやってていいんだろうか』って焦りが出てきたものの、それでもやめられない。大学2年までは、公認会計士を目指して1日10時間ぐらい受験勉強をしていたんですが、途中で息抜きに消しサカをやってましたからね」
剣豪よろしくおのれの技術を10年以上磨き上げてきたこの頃の土屋は、本物のサッカーのような相手DFを背負いながらの反転シュートや、クロスボールを頭で後ろにフリックさせてのゴール、壁の頭上を越える直接FKからの得点もできるようになっていた。
そればかりか『キャプテン翼』の中だけの絵空事のはずのツインシュートや、テーブル上のすぐ目の前にあるボールをわざわざバク転して後頭部でシュートするという、超アクロバティックなのかバカすぎるのかよくわからない超絶プレーまでも操れた。消しサカは、子供だましのサイコロの弾き合いとはとても呼べない域にまで達していたのだ。
ひきこもり状態から一転、すべてが新鮮に映った漫才
ところが、思いもよらない転機が訪れる。
「公認会計士の受験勉強の疲れを癒すため、通っていた大学の落研ライブを時々見に行ってたんです。落研と言っても落語をやる人はいなくて、漫才やコントばかりだったんですけど『こんな楽しいものがあるんだ』と、だんだん笑いの世界に惹かれるようになってきて。そのうち受験勉強についていけなくなり、自分には試験を突破できる実力がないと悟った大学2年の秋、すぱっと諦めてその落研に入りました」
コンビでコントをやるようになった彼は、10年間のひきこもり生活の反動もあり、笑いについてのすべてが新鮮で魅力的だった。
「仲間の部員と外でわいわい遊ぶ楽しみにも目覚めて、すぱっと消しサカから足を洗えたんですよ」