師匠には「研修中一度も怒られたことがない」

畠山も佐藤も特定職社員という身分であり、定年は70歳。特定職社員は日給制でメトロ本体と同じ福利厚生を利用できる。求人情報によれば日給は8350円。そこに経験年数による加算給やトイレ掃除の加算が上乗せされ、週休2日・実働22日で20万前後の収入が見込める。佐藤が言う。

「入社すると配属先で1カ月の研修を受けますが、私は当時副主任だった畠山さんに5つの駅をひと通り回る現場研修を担当していただきました。畠山さんはいつも穏やかで高圧的なところがまったくなくて、研修中一度も怒られたことがないんです。作業の手順はもちろんですが、日常の立ち居振る舞いにも教えていただくことがたくさんあって、この仕事を続けられそうだと思えたのは、畠山さんがいてくださったからなんです」

取材場所の東京メトロ半蔵門線永田町駅事務所に現れた畠山は、師匠という言葉からくるイメージとは裏腹に、くりっと目が大きく、どこかきょとんとした表情の女性である。小柄だが指が太い。

セルビスの仕事がなかったら、佐藤と畠山の人生が交差することはなかっただろう。

「家にいてもつまらない、とにかく働きたい」

畠山敬子は1949年(昭和24年)、秋田県北秋田郡で生まれている。5人兄弟の4番目。父親は営林署に勤務して国有林の管理をしていた。

「きょうだいが多かったから家計は厳しかったかもしれませんが、子供の前でそういう素振りは見せませんでしたね」

地元の中学を卒業すると和洋裁の専門学校に2年間通い、17歳のとき金沢の繊維会社に就職した。体調を崩して金沢の会社を退職ししばらく秋田の実家に戻っていたが、畠山は子供のときからずっとある疑問にとらわれていたという。

「親がぜんぜん怒らないんですよ。あんまり怒られないもんだから、私、もらわれっ子じゃないかって疑っていたんです。怒ると継母だってことがバレるから、怒らないんじゃないかって」

撮影=永井浩

24歳のとき、東京で仕事をしている秋田出身の男性と見合いをして結婚。上京して葛飾区で暮らすことになった。相手は金属にメッキ加工をする工場で働いていた。

「秋田は寒いから、東京に行きたかったんです」

2人の子供に恵まれ、子育ての最中はパートに出て教育費を稼いだ。夫は酒好きだがギャンブルはやらない「まじめなダンナさん」。金に困っていたわけではないが、家にいてもつまらないからとにかく働きたかった。