呉服屋は新規参入されない

地方のスナックのしぶとさについては、ここ数年ずっと指摘されていることです。あらためて私がそこに気づいたのは、先日、呉服屋さんや新聞販売店さんが主催する落語会の打ち上げで、地元のスナックで飲んだことがきっかけでした。

くしくも「不況に強い」と思われる3業種が利害を一致させている空間の中に、あってもなくても実生活では誰も困らない、落語をなりわいとする者が居合わせていたのです。いやはや、ご縁をみ締めたものでした。

前座の頃からずっと可愛かわいがっていただいているのが、故郷長野と群馬は館林の呉服屋さんですし、久喜で20年近く続いている落語会は新聞販売店さんの主催なのです。

きちんと統計を取ったものではありませんので、この3業種が不況に強いというのは、単なる落語家の思い込みかもしれません。とくに地方の場合、人口減による売り上げの低迷は顕著であるはずなので「本当は苦しいよ」という反論もありそうですが、ある長野の呉服屋さんにいわせると「ま、新規参入がないのはうれしいよね」ということでした。これは新聞販売店やスナックにもあてはまる強みでしょう。

また、別の強みとして「古くからの顧客名簿がある」という点も挙げられます。呉服屋の場合、おばあちゃんから孫まで代々面倒を見ているお客さんが大半であると耳にします。

夜のスナックは「地元の公民館」だ

新聞販売店にしても、一度取りはじめた新聞は、よほどのことがない限りなかなか変えないものです。さらに地方に行けば行くほど、読売や朝日といったメジャー紙よりも、ローカル紙の占有率が高くなります。たとえば長野には「信濃毎日新聞」があります。「県内普及率」は54.5%だといいます。

地方の読者はやはり、東京の情報より地域の情報をありがたがるのでしょう。このような姿勢は、テレビやラジオなどのローカル番組にも反映されているような気がします。

立川 談慶『ビジネスエリートがなぜか身につけている 教養としての落語』(サンマーク出版)

こうした地域との密接な関係性は、至る所に見られます。ある新聞販売店さんは、何日も朝刊が溜まっている民家に気づき、住人を孤独死一歩手前で救ったことがあるそうです。これも顧客と長くつながっているからこそ起きた幸運といえます。

同じように、スナックは夜になると地元の公民館的な役割をはたします。そこで「いつも来るはずのAさんが来ない」となれば、有事を未然に防ぐことにつながるでしょう。

また、呉服屋さんは長く商いを続けてきた信頼関係から、商店街の幹部的な立場にいる人が多いです。私の落語会にしても、そんな方々が旗振り役となってポスターを貼ってくださっています。

これは既刊『また会いたいと思わせる気づかい』(WAVE出版)にも書いたことですが、この3業態に共通するのは「長期的な視野に立っている」ということです。