AKBの握手会に長蛇の列ができるワケ

着物を扱う呉服屋さんは、いきなり高価な着物を売ろうとはしません(そもそも、いきなりは売れません)。まずは着物のクリーニングなどメンテナンス的な付き合いからはじまるケースがほとんどであると聞きました。

やがて足袋などの小物を買うような間柄になり、ひいてはそうして育まれた信用がミルフィーユのように積み重なり「私の時によくしていただいてから、娘の時もお願いします」という具合につながっていくのでしょう。

新聞にしても、たまに洗剤やビール券などを持ってくる配達員に対しては、「毎朝早くからご苦労さま」という気持ちになり、わざわざ解約しようという気にはならないものです。

若い子がいない地方のスナックにしても、腰の曲がったおばちゃんから、「あら落語家さん、風邪気味なのね。温まって行って」と特別に甘酒など作ってもらったら、そりゃまた来たくなりますって。

……ここまで書いてふと気づきました。この3業種には要するに「情緒」という底力があるのではないか、と。情緒とは「温かなコミュニケーション」にひもづくものです。

超絶美人ではなく、「そこそこ可愛い」レベルのAKBの握手会にあれほどの行列ができるのも、握手というコミュニケーションから生まれる情緒があるからかもしれません。

痛みを愛せない人に、筋肥大は起こらない

これは自分が書いた本が、落語会終了後のサイン会でよく売れることからも証明されます。一人ひとりのお名前を記し、「どこから来ましたか?」などと短い会話を交わしながら、最後は握手をするという手間をかけたほうが売れ行きがいいのは、お客さんが情緒を求めているからなのでしょう。

振り返ってみれば、国会議員もやっていた談志は、そのような情緒をとても大切にしていました。師匠は私が前座時代に企画した会に出ると、終演後には必ず「俺のほうはいいから向こう(お客さん)の方に行け。愛想をふりまけ」などとアドバイスをしてくれたものでした。

情緒とは「ふれあい」です。そしてこれは、「非効率を愛でる」という意識がなければ花咲かないものなのかもしれません。握手もひと手間ですし、サインもひと手間。それらを無駄なこととして放棄してしまい、閉塞状況を起こしている現代だからこそ、ふれあいがものをいうのでしょう。

落語家・立川談慶さんのパンプアップした二の腕
落語家・立川談慶さんのパンプアップした二の腕

さて、そんな情緒を愛するようになれるスポーツがあります。もうおわかりですね?

筋トレです。

筋トレには「筋肉痛」という情緒があります。忌み嫌うべきその痛みを許容し、愛さなければ筋肥大は起きません。一朝一夕に目的が達成されない筋トレは、長期にわたって限界超えという「ひと手間」に挑み続けなければ、果実が得られないスポーツです。

このスポーツ、じっくり筋肉を熟成させるようなイメージで取り組めば、肉体的には筋肥大を、そして精神的には情緒をゲットできるはず。まだまだ寒い日が続きますが、ジムに行きましょう。きっと、情緒ある未来が待っています。

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