ただし、時期がよかったかと言えば、そうではなかった。レガシィが発売された時期はバブルの最中である。

レガシィは排気量もアップした上級車種だったが、浮かれていた世の中の人々にとっては「地味なクルマ」と映ったのである。

国産「3」ナンバーだけでなく、ベンツ、BMWも売れた

当時、世の中の話題となり、人々があこがれた車はレガシィより一年前の1989年1月に出た500万円以上もする高級車、日産シーマだった。

日銀の支店長会議の席上で、同行したエコノミストは日本人の豊かさを象徴する車、および当時のハイソサエティ的な消費行動を「シーマ現象」と名づけたくらいだ。

また、シーマだけでなく、トヨタのソアラ、ホンダのプレリュードなどが「ハイソカー」と呼ばれ、この3車種をはじめとする3ナンバーの車に人気が集まった。

1989年、税制改正があり、3ナンバー車もとびきり高い税金を払わなくてよくなり、以前よりも格段に売れるようになったのである。

そして、ベンツ、BMWといった外国車はそれまでは富裕層が買う「高級外車」とされていたが、どちらも小さなサイズのそれが飛ぶように売れたこともあり、ベンツ、BMWの小型車は「赤坂のサニー」「六本木のカローラ」という呼び名が付いたのである。

なんといっても1990年、ロールス・ロイスの全生産台数のうち、約3分の1が日本で売れている。

そんな時代だったこともあり、真面目で堅実で質朴なレガシィは順調な売れ行きではあったものの、大衆にとってのイメージは四輪駆動の車、マニアが買う車といったものにとどまった。

思えば富士重工はレガシィしかなかった。トヨタならばソアラだけでなく、クラウンもカローラもランドクルーザーもある。どれかが売れなくとも、必ず売れている車種がある。しかし、軽自動車を除くとレガシィしかない富士重工はそれが売れなければやっていけなかったのである。

大半のディーラーがレガシィを店頭に並べていない

1989年にはSIAの工場が完成し、アメリカで作られたレガシィがマーケットに出た。輸入車ではないから、為替の影響は受けない。リリース時からアメリカのユーザーが買うような価格に設定することができた。

「これでやっと苦境から脱することができる」とアメリカにいた富士重工の担当者は小躍りしたが、売れるはずの新車レガシィの数字がなかなか上向きになっていかない。

おかしいと思って営業担当はアメリカ国内のディーラーを100社回り、販売実態調査を行った。

すると、大半のディーラーでは、米国製レガシィを店頭に並べていなかった。販売スペースにあったのは日本から輸入して時間が経ったレオーネであり、新車のレガシィは人目に付かないところに隠して置いてあった。