空を飛ぶ夢を追ったエンジニアだった
トヨタが創業したのは1937年。定款には自動車製造だけでなく、航空機製造販売も入っていた。同社を創業した豊田喜一郎は現在の会長、豊田章男の祖父である。
喜一郎は国産自動車の製造だけでなく、航空機にも関心があり、創業から6年たった1943年、太平洋戦争の真っただ中であるにもかかわらず、2人乗りヘリコプターの試作機を完成している。
戦後の1950年、喜一郎は労働争議で会社を追われたが、ひとりのエンジニアに戻った後、世田谷にあった自宅で少数の部下とともに小型ヘリコプターの設計に励んだ。
喜一郎は自動車製造だけでなく、空を飛ぶ夢を追ったエンジニアだった。
2人乗りヘリコプターの試作から80年たった2024年11月2日、喜一郎の孫でトヨタ会長の豊田章男は静岡県裾野市にある東富士研究所にいた。
「かっこいい!」
その日、トヨタが協業するアメリカの航空ベンチャー企業、ジョビー・アビエーションが開発した空飛ぶクルマのデモフライトが行われる予定だった。だが、悪天候のため、デモフライトは中止。豊田章男は集まった関係者、報道陣とともに10月下旬に実施された試験飛行の動画を視聴したのだった。
動画が流されると、裾野市の空を舞うジョビー・アビエーションの機体には「TOYOYA」と大きく書いてあることがわかった。
終了後、感想を聞かれた時、豊田は「かっこいい!」と声を放った。
「富士山をバックにジョビーの機体が日本の空を舞う。それはもうかっこいい。私は海外から帰ってきて、飛行機のなかから富士山を見ると、日本に帰ってきたんだなという気分になる。ぐっと来るんです」
豊田章男の頭にあったのは協業している会社の機体の試験飛行が成功したことだけではなかっただろう。祖父、喜一郎以来の空を飛ぶ夢がかなったという事実をかみしめていたと思われる。