スバル(SUBARU)は、前身の富士重工時代に国内で初めて一般向けの四輪駆動車(4WD)を開発した。しかし、アメリカ生まれのいかつい車は日本人にとってなじみがなく、発売当初は苦戦を強いられた。“四駆”は、いかにして日本の人気車種になったのか——。
※本稿は、野地秩嘉『スバル ヒコーキ野郎が創ったクルマ』(プレジデント社)の一部を再編集したものです。
すべては東北電力の依頼から始まった
「山のなかの送電線の保守作業をしなければならない。そのためスバルの前輪駆動車を四輪駆動にできないか」
日産サニーの受託生産が始まる1968年、富士重工のディーラー、宮城スバルにある依頼が寄せられた。頼んできたのは東北電力である。
新車の開発ではなく、前輪駆動を四輪駆動に改造してくれないかという依頼だった。宮城スバルにとって、東北電力は得意先だ。できうるかぎり要望に応えなくてはならない。
「やってみようじゃないか」と言ったのは当時の宮城スバル整備課長だった。彼はもともと自衛隊で戦車の整備をしていた男でメカニックに詳しかった。
本社に改造についてフィードバックすることなく、ディーラーの整備担当を集めて、既存の知識と技術をもとにFF(フロント・エンジン/フロント・ドライブ)車から四輪駆動車への改造に着手したのである。
四輪駆動(4WD)車とは文字通り、四つの車輪がすべて駆動輪となる自動車のことだ。悪路、とくに雪道に強いので、利用するユーザーが多いのは降雪地帯だ。