ユーザーの「こんな車が欲しい」から革新は生まれる

富士重工が他社に先駆けてフルタイム四輪駆動を開発していたのは、結果としては正解だった。

ここで、もうひとつ、指摘できることがある。水平対向エンジン、アイサイトといった同社の核心技術はいずれも社内から生まれたものだ。

一方、四輪駆動に関しては東北電力の依頼から生まれている。つまり、ユーザーが「こういうものが欲しい」とメーカーに頼んできたイノベーションだった。

現在、EV(電気自動車)、自動運転といった新しいとされる技術の確立に向けて自動車各社は必死に取り組んでいる。

しかし、将来のマーケットの帰趨きすうを握る技術は案外、EVでもなければ自動運転でもないような気がする。

「これがあれば他社よりも確実に売り上げを取ることができる」

そういったイノベーションとはスバルが四輪駆動に出合ったように、ユーザー側から湧き上がってきたものではないか。

企業が考えたものよりも、ユーザーが「こんな車が欲しい」「不便を解消した車に乗りたい」と思ったものの方がかえって一般の人々に受け入れられるのではないか。

当時の日本経済は円高、輸出業は苦しかった

レオーネのフルタイム四輪駆動がマーケットに出る前年のことだ。

1985年9月22日、米国ニューヨークのプラザホテルに先進五カ国(日・米・英・独・仏)の経済、財務担当相と中央銀行総裁が集まり、国際会議が持たれた。

この会議で決まったのはドル高是正に向けた各国の協調行動への合意であり、いわゆる「プラザ合意」と呼ばれるものだった。

「基軸通貨であるドルに対して、参加各国の通貨を一律10~12%幅で切り上げ、そのための方法として参加各国は外国為替市場で協調介入をおこなう」

人為的にドル高を是正し、アメリカの輸出競争力を強め、貿易赤字を減らす。プラザ合意はそれなりの効果があったが、一方で、日本経済は急速な円高のため、輸出型産業にとっては苦しい局面になった。

プラザ合意の年、1ドルは240円だったけれど、2年後の87年12月、1ドルは120円になっている。

日本銀行は円高不況を懸念して低金利政策を取った。そのため、輸出型ではない企業は急激な円高で原料が安く入手できたので、結果的には懐が潤った。

消費者もまた輸入品に対して購買力が高まったため、消費が活発になり、国内景気は回復に転じた。その後も、低金利政策は続き、金融機関は余った金を貸し出しに回す。

それによって、不動産・株式などの資産価格が高騰し、バブル景気へつながっていったのである。